微睡みに漂う言葉

思ったり、考えたり、気付いたり、そんなことを綴っていきます。

広島を歩く〜➃宮島に辿り着く

 
原爆ドームの隣にある折り鶴タワーで昼飯を食べようと思ったらコロナの影響で営業していなかった。
入口の窓ガラスをじっと5秒ほど見つめていたけど、何も変わらないからやめた。
 
でも、ラッキーだ。それなら僕にも考えがある。
一人でそんなことを思いながら、広島名物なる汁無し担々麺を食べようと近くの店を調べ10分ほど歩く。
 
着いたのは「汁なし担々麺 麻沙羅 」
強そうな名前だ。マサラタウンがこの麻沙羅 表記なら、サトシもポケモントレーナーではなく天下一武道会で優勝を目指していたに違いない。
 
注文時、聞かれたのは「辛さ」と「しびれ」。
しびれは山椒によるアクセントらしい。関東や東海ではあまり聞かない文化だ。
無難に中程度の辛さとしびれでお願いする。
 

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(ご飯と温泉卵もついて700円だから、お得感がある。)
 
予想を裏切らず、よく混ぜ、食べるととても美味しく、ここで学生生活を過ごしたら定期的に食べるのだろうなと思った。
食べ終わったあと唇が少しヒリヒリした。
でもこれもきっと癖になるのだろう。
それこそ、しびれを切らしたら来るようなところなのかもしれない。
 
 
時刻は13:00過ぎ、広島電鉄のフリーパスを購入し宮島に向かう。
最初の数分こそ窓の向こうの見慣れない景色を見ていたが、再び『雲のむこう、約束の場所』を読み進める。
 
 
作中出てくるヴェラシーラという名前をつけられた白い飛行機は、名付けられたその瞬間から「可能性」が宿る。
やはり名前をつける行為というのは尊い(と僕は考えている)。
これはこういうものだという在り方を外に表明する。
名前というのはそれだけある種の責任があるものだ。
 
画竜点睛という言葉がある。
確か、竜の絵を描いて最後に目を書き加えたら実際に飛び出していったみたいな逸話があって、そこから「物事を完成させる最後の仕上げ」というニュアンスになったはずだ。
 
僕は創作物の画竜点睛はタイトルにあると思っている。
勿論先にタイトルありきで始まるものも多くあるのだが、やはりタイトルが端的にその創作物のあらゆる可能性を内包すべきだし、最後につけるのが良いのだと思う。
 
だからというか名前をつけるというのは僕としては神聖な儀式みたいなもので、かなり時間を要する。
自分が新しく名を与えるというよりかは、どちらかというと対象がもつ真名を捉えようと当てもなく探す旅に出るという方がニュアンスとしては近い。
 
その難しさを少しは知っているからこそ、素敵なタイトルの作品に出会うと心震える。
例えば、
 
八重野統摩さんの「ペンギンは空を見上げる」
三秋縋さんの「君の話」
河野裕さんの「昨日星を探した言い訳」
 
上記小説は読み終わったあとに、このタイトルで良かった。このタイトルをよく見つけてくれたという気持ちになる。いつか自分も自身の創作に対してこれしかないという名前をつけてみたい。
 
 
宮島口まで着いてフェリーに乗る。
恥ずかしながら、つい先日まで宮島は江ノ島と同じように本島と橋で繋がってるものだと思っていたから、フェリーに乗れてラッキーだという気持ちがあった。
 

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ななうら丸、素敵な名前だと直感的に思った。七に浦だと良いな。)

乗船は良い。出港の浮足立ったワクワク感が乗客全員にそこはかとなく共有されている気持ちになる。
また、旅が始まる。そんな風に思う。
そしてあっけなく進み始めた船は、わずか10分の時間で宮島までたどり着く。
 
 
着いてすぐ、鹿がいた。
あまりにも普通にいすぎるためか、既にいた観光客でシャッターを構えている人はいない。
少しお上り感があると思われるのが恥ずかしくて、僕は写真を撮れなかった。
 
周りを見渡すと一人で来ている人は少ない気がする。そのことに寂しさを感じながら歩く。
 
鹿はやっぱり結構いた。
鹿が見えなくなって1分も歩くとすぐ次の鹿に会うくらいにはいた
案外、個体によって毛並みの綺麗さとか違うものだと思った。
 
そういえば、今仕事でやり取りをしている女性も、苗字に「鹿」の文字が入っていた。その人(Sさんとしよう)は、ある企業の広報の方なのだが、打ち合わせのために数度メールや電話をしている。
文面も非常に丁寧で好感が持てるし、朗らかな電話越しの声も耳に心地よく、役得だと思っている。
 
Sさんと僕は恐らく一生会うことは無い。
なのに影響を受けて、もっと自分も他人にやさしくしようと思える。
それって改めて考えると不思議なことだ。
 
(余談だが、後日仕事でZOOM会議をしてSさんと1分ほど話した。
 やはり文面や声から想像がつくような素敵な人だった。
 歳は同じくらいか少し上の気がするが、左手の薬指に指輪があるのが見え、幸せな結婚生活を送っているといいなと心の底から思った。…でも率直なことを言うと少しだけ寂しくなった。どうせ会うわけでもないのに、なんと自分勝手な感情だろうと自分でもあきれた)
 
 
厳島神社の大鳥居は、前情報通り工事中だった。

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(なんか悪いことしたのかなってくらい囲われてて笑ってしまった)
 
もし、これが満潮時にしっかりそびえ立っていたら迫力あるだろうなぁと思った。
ただこの時間は残念ながら干潮のピークに近いくらいだったので、正直あまり見応えはなかった。
潮が引いた砂浜を散策する観光客が潮干狩りをしているようだし、これぞ厳島神社!という荘厳とした雰囲気ではあまりなかった。
 
300円ほど払えば、神社内の廊下も入れるのだけど今回は諦めた。
せっかく行くなら満潮で大鳥居が見えるときが良い。
また来る言い訳をそっと置いておく。
 
 

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(そうだ、宮島に行こう。そう言いたくなるような一枚だ。もし満潮ならだけど。)
 
ただ、ここからどうしようかと思う。
あまり宮島のことを調べずに来たせいで途方に暮れる。
 
近くの看板を見る。
書いてあったのは弥山というパワースポットの山へのロープウェイ&登山。
そしてもう一つは宮島水族館
 
一人で水族館に行くのもいい。
ただ、山は一人で登りたい。そのほうが気が楽だ。
なので、未来の可能性を残すため前者を選ぶ。
 
いぇい登山スタート!なんて心の中でウキウキする。

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(山への入り口、紅葉がきれい)
 
この時は知る由もないが、
今年いち過酷な2時間が始まりを告げた。
 
 
 

広島を歩く〜③原爆ドームと平和記念資料館

 
原爆ドームは耐震工事中だった。
 
鉄骨に囲まれた姿は、まさに治療中といったイメージを受けた。
壁についたシミやレンガの剥がれ方が生々しかったけど、正直なことを言うと、想像していたような衝撃は自分の中に訪れなかった。

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(近くから見た原爆ドーム。破損の仕方は痛ましい)
 
 
そのまま囲むようにくるりと回る。
反対側の案内板には高齢の女性が立っていた。
「無料で説明する」といった類のフリップを持っていて、せっかくだからお聞きしたいとお願いする。
 
そうしたら女性は観光で来ていた周辺の数名にもこれから10分ほど説明しますので、良かったら聞いていってほしいといったニュアンスのことを言った
彼女の周りには僕を含め5名ほどが集まった。
 
 
聞いてよかった。そう、心から思う。
彼女の言葉には、とても、説得力があった。
話しとしては、なぜ広島に原爆が落とされたのかから始まり、落とされるときの米軍の動き、そして落とされてからの日本の現状を主としていた。
戦時中軍事基地があったからこそ被害があったとき国民の絶望が大きい点や、これまでも戦争の被害を受けていない広島だからこそ原爆の威力を正確に測定できるという面に、非人道的な行いですら実験に落とし込む米軍の賢朗さが垣間見えた
1番印象的だったのは今僕が立っているこの地面の下にも当時の死者が眠っているかもしれないということだった。
そこ迄の想像はできていなかったから、聞いたときにはかなり衝撃だった。
 
 
女性の話はなんやかんや30分ほどあったと思う。
彼女の周りにはいつの間にか20人を超える人が集まっていた。
それだけの人が関心があるのだと少しだけ驚いた。
 
僕はできるだけ正確に女性の意を汲み取ろうと真剣に聞いていた。
ただ、途中から目眩を覚えてその場に腰を下ろした。
これが単に3時間睡眠の弊害か、話を聞いたことによる衝撃なのかは自分でも判断が出来なかった。
ただ、呼吸がいつもより少し難しいと感じていたから後者の影響も少なからずあったのではないかと思う。
 
女性の話の内容も印象的だったが、話し方も記憶に残る。
なんていったって明るく、話されるのだ。潤んだ目だって前のめりに見える。
それは額面通りにはどうしたって受け取れない。
彼女の話し方は逆説的に当時の悲惨さを助長していた。
僕はこんな説明の仕方があるのかと畏怖を覚えた。
 
話を聞いたあと、女性に今日話を聞けて良かったと感謝を述べた。
そして去ろうとしたとき、彼女は「折角ここまで来たのに最近は写真だけ撮ってサッと帰る人が増えている。それはなんというか勿体無い」というニュアンスのことを言った。
 
きっとそうだと思う。
写真を撮れば満足する、なんてことは今の世の中ありふれている。その場の記憶を留める手段を五感ではなく機械に委ねるのは便利な世の中ゆえだ。
情報が奔流する中では、自身の心に刻むよりも、風景を切り取る方が見返せるし消費期限は長くなるから、それが必ずしも悪いとは思わない。
 
けど、僕は彼女のその言葉を聞いてしまったから改めて原爆ドームを見た
重いな、と感じた。強く。
 

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原爆ドームと説明をしてくれた女性。説明後、平和を求める署名活動も控えめにお願いしていて人柄の良さが表れるようだった)
 
 
それから僕は周辺を回った。
 
まず行ったのは国立広島原爆死没者追悼平和祈念館だ。
この施設は、戦争や原爆の説明よりむしろ、死没者の情報収集と提供を主としている。
スクリーンに原爆で死没された100名以上の方の名前と写真が表示され、数秒で別の亡くなった方に入れ替わっていたのだが、「一巡するのに2時間ほどかかります」と記載があって改めて多くの方の命が失われたことを感じた。
 
そのまま、原爆供養塔、原爆の子の像、平和の灯、原爆死没者慰霊碑など近くのところを見て回った。
そのそれぞれについて思うところはあったが、特に印象的だったのは平和の鐘だ。

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(平和の鐘。さきほどから修学旅行に来ていた中高生が不定期に突いて、よく響いていた)
 
これがモデルではないらしいが、『HEIWAの鐘』という合唱曲を思い出す。
先ほどから断片的に突かれていた鐘の音は、どれも心の奥深くに入り込んで何かを訴えかけ揺るがす力があった。
「こぶしを広げて繋ぎゆく 心は1つになれるさ 平和の鐘は君の胸に響くよ」
本当にそのとおりであってほしい、実感を伴ってそう思った。
 
 
平和記念資料館のことも書き記しておきたい。
せっかくだからと、音声ガイドも借りた。
70近い説明が入っていて、うちの半分くらいは吉永小百合さんがナレーションを担当されていてそれがまた胸を打つ。
 
沖縄のひめゆりなどもこれまで行ったことはあったから、どういったものがあるかは予想していたが、だからといって受け止めきれるわけではない。
例えば、衣服。
助かることができなかった子どもの衣服が展示されているが、その生々しさに苦しくなる。
 
もう助からないのに最後に病床でお腹いっぱいお粥を食べ両親にありがとうと述べる児童の話や、放射能で戦後に家庭を狂わせれた話、どれも平和に生きている今、経験することはない。
 
泣きそうになるとき、身体がブルっと震え喉の奥に違和感が生じる。
何度もそんなことを繰り返した。
 
死を身近に想像することで、生を実感する。
それはよくある例だけど光と影みたいなもので、不可分なのだ。
普段は小説を読むことで僕はその経験をするが、本は閉じればいつだってひと呼吸つくことができる。
 
ただ、展示会というのは休めない。それが心に堪える。
見ている時間が長くなるにつれ心の深いところまで自身が沈んでいき、戻れるのか少しだけ不安になる。
 
 
地下ではひっそりと『この世界の片隅に』の展示が行われていた。
じっくり見て、健気に、真摯に、足元を踏みしめて生きることの尊さを学ぶ。
 
『遠い呼び声』を聞いてから原爆ドームに行くのは自己満足的な考え方だったなと振り返る。
その行為は、きっとこんな感じのものがあるだろうと予想をして答え合わせをしにいく自己完結的で傲慢な発想だ。
一人でそれをやって他人を巻き込んでいないうちには勝手にやってろという感じで問題ないと思うが、自分の尺度でしかものを見積もれてないのを自覚して、自分の中では恥ずかしいなと思った。
 
 
外に出る。
日差しは眩しく、少し暑いくらいだった。時計を見ると、太陽はもう真南を過ぎているようだった。
11月も折り返しなのに燦々とした陽光は、紅葉に染まる木々をよく映えさせた。
センチメンタルだとバカにされてもいいが、モノクロになりかけていた感情が、秋の彩りに絆されていく感じが確かにした。
 
マスクを外して一度大きな深呼吸をしてから、僕はこの地を後にした。
 

広島を歩く〜②駅から原爆ドームまで

 
改札を出て原爆ドームまでの行き方を調べようと携帯を手にかけるが、思い直してポケットにしまう。
 
旅行、をしに来ているのだ。
しかも、1人だ。
 
決められた予定なんて何もない。
焦る必要なんかまったくないし、いきあたりばったりで全然良い。
街中の地図だけで辿り着こう。そう誓った。
 
駅を出るとすぐ、広島電鉄が見えた。
路面電車!そのことを思い出してワクワクしてしまう。
でも、江ノ島でも鹿児島でも路電は乗ったことあるし、ドイツやポーランドだって当たり前のようにトラムがあった。
逸る気持ちを抑えて、取り敢えずここでは歩いていく。
 
信号で待つ。
1分ほどのんびり立ってると、青に変わる。
歩き出すと同時に、ちょっとずれた位置に歩道橋があるのが見える。
僕は歩みかけた足をわざわざ止めて、歩道橋に向かう。
ちょっと高いところから先を見たかった。
 
歩道橋を登りながら、駅方向を改めて見ると名前も知らない学習塾が多いことに気がつく
その中に三幸学園があった。

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三幸学園。仙台にもあったし大都市への旅のたびに見かける気がする)
 
 
あまり人には言ったことはないけど、三幸学園は、僕が就職活動で面接を受けた企業の1つだ。
全国であらゆるジャンルの専門学校を運営していて、多くの場合、社員はその専門学校のクラスの担任になる。
ここが、面白いところだと思っていて、教職を持ってない人でも学校の先生になれるのだ(授業は勿論受け持たないが)。
 
そして、先生達が自分の所属する専門学校の生徒募集といった広報から在校生のインターン先の斡旋などまで、なんでもやる。
勿論、大変な仕事ではあるけど、授業を受け持ってないからこそできる一人一人の生徒との向かい合い方がここにはあって、教育とビジネスの2つに興味のあった僕にとって非常に魅力的に思えた。
 
実はNPO法人カタリバ時代の友人・後輩がここに就職しているのだが、その人たちは本当に僕が心の底から尊敬している人たちだ。少しだけ紹介したい。
 
W同期は、人から好かれる天才だ。人一倍大変なことを経験したのに震え縮こまっていた自分の殻を破った。マイナスすべてをプラスに力づくで変換する心の強さと実行力がある。
 
I後輩は、人と向き合うということにひたすら真摯で、僕は絶対敵わないと思ってしまう。この人の前にいると褒められたいし認められたくなる、つまり頑張ろうと思ってしまう。そんな気力を人に与える。
 
K後輩は、いつも笑っている。お調子者なのに周りへの気配りを人一倍していて、すっごく周りが見えているんだなと思う。そして人を絶対に貶さない。一緒にいるとどうしても笑顔になってしまう。
 
そんな人たちが就職している三幸学園がすごくないわけがないんだよな、と常々思ってる。
三幸学園の経営理念は「生徒の幸せ、社会の幸せ、学園の幸せ」、だから三幸らしい。(https://www.sanko.ac.jp/about/principle/)
 
幸せをビジネスの場に持ち込むと胡散臭いみたいな見方も世にはあるけど、僕個人としては声高々と幸せを叫ぶ人を積極的に応援していきたい
 
 
てくてく歩いてると、中学校の横を通った。
そこにはポストが置いてあった。
大したことない事務内容から、もしかしたら生徒の恋心まで雑多にこの赤い箱に詰め込まれてるかもしれないなと思うと、可能性の塊だと感じる。
そのまま、シュレディンガーの猫量子論クリストファーノーラン と連想して、あ、ダークナイトを見ないとと思う。
 
ここでポストの写真を撮り忘れて(厳密にいうと取らなくて良いよなと思って200メートルくらい歩いてうわー撮って置けばよかったと後悔した)、これ以降写真は積極的に撮ろうと考える。
 
 
広島合同庁舎を見ると、岐阜県庁によく似ていて、当たり前だけどどこも一緒のように見える。
でもフォルムは好きだからそのままであってほしい。

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(広島合同庁舎。通っていた大学の校舎にも似ていて親近感)
 
そのまま後ろを振り向くと、KUMONが見えた。
自分の人生に影響を与えたN後輩とその化物じみたへこたれなさを思い出して温かい気持ちになる。
N後輩みたいな、幸せをゼロから生み出して躊躇なく隣人に分け与えられる人が世の中にもっと増えれば、世界は明るくなるのに。
子どもができたらKUMONに入れるのも良いかもしれない。

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(KUMONって探すとどこにでもあるなと思う)
 
RCCテレビもあった。TBS系列のこの地方のテレビ局だ。
メディア界隈ではラジオとテレビを両方やってるテレビ局をラテ兼営というがここもそうらしい。
見るからにテレビ局!という外観も良い。
もしかしたらまた来るなんてことがあるかもしれない。じっと目に焼き付けた。

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RCCテレビ。パラボラアンテナがかっこいい)
 
ここまで来て目的地からだいぶ道がそれてることに気づく。ゆったりした心で方向修正をする。
広島城の濠が松本城みたいだなと思ったり、地下通路への入り口で鵠沼海岸を思い浮かべたり、あらゆる風景が自分の歩んできた人生に重なる。

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広島城のお濠。ジョジョ立ちみたいになってしまった。)
 

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(地下通路への入り口。鵠沼の青春が一瞬でフラッシュバックする)
 
 
そろそろ近いはずなのに一向にその姿が見えてこない。
おかしいなと思いつつも合ってると信じて歩く。
挙げ句の果てにこども科学館のプラネタリウムがそれなんじゃないかと思ってしまったりもした。

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(奥にあるのが子ども科学館のプラネタリウム。ドームっぽいよね…?)
 
 
いや、そんなわけないよなと思って少し歩く。
そして横に目を向けた先に、あった。
途端、何故だか緊張に包まれる。
僕はイヤホンを外した。
「遠い呼び声」は聴こえなくなった。

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広島を歩く〜①プロローグ

 
2020年11月16日(月)。 
5時の目覚ましが一日の始まりを告げる。
 
最近のお気に入りは『変わらないもの』。
冒頭のピアノの和音の優しさと根底に通奏してる力強さみたいなのが朝にピッタリだと思って、ここ一ヶ月くらい「時を超えてく想い」に背中を押されながら目を開ける。

www.youtube.com

(ちゃっかり乃木坂メンバーのカバーのものを聴いている。声が好きなんです。)
 
 
起きてすぐシャワーを浴びた。
微睡む身体を洗い流して、旅の高揚感へと気持ちをアジャストする。
 
昨夜、すっかり諦めた支度をササッと終わらせながら、
なんでたったこれだけのことに取り掛かれなかったのか過去の自分に呆れたりなんかもする。
 
 
05時46分、少し早足で家を出る。
06時10分、名古屋駅で新幹線の発券に少しだけ苦労する。
06時19分、のぞみ博多行きの始発に余裕なく搭乗する。
 
3日ほど前からS後輩が好きだと言っていたsumikaを聴くようにしている。
今まで機会がなくて聴いてなかったことが悔やまれるくらい、アップテンポの中に滲み出る優しさみたいな雰囲気はすごく好みだ
まだ全然詳しくないけど『唯風と太陽』という曲が良い。
 
「目が消える笑顔 グーの手を口に当てて」
「君が 君が 笑っていたそれだけで嬉しい」
「恥ずかしいけど 僕は風を」
 
こんな当たり前の風景を愛して、目の前にある幸せを噛み締めて、自分はこうなりたいという想いを抱きながらずっと生きていけたらいい。
実は少しだけCメロの歌詞に異議を立てたいところもあったりするんだけど、そうゆうところも含めてまるごとこの曲の魅力なのだろう。
 
 
新幹線の指定席を探しながら歩いていると、これから旅行に行くのだと言う実感が湧き上がる。
そこそこ乗っているはずだけど、まだ僕の中では新幹線は特別な乗り物として確立されているようで嬉しくなった。
座席は空席が目立つのに、何故か僕の指定された席は三人がけの既に二人が隣に座っている場所だった。
少しだけ気まずくて、何も言わず1つ前の席に陣取る。
 
車掌さんがチケットを確認しに来た。
指定された席に座ってないことに、朝から困らせるの申し訳ないなぁとか小言言われそうだなぁとか考えてしまう。
 
でも、車掌さんは後ろの席をチラッと見て理解すると、
「あなたが今座ってる席も、京都から予約してる方がいるので」と、別の空いてる席を手元の機械で探して提案してくれた。
その物腰の柔らかさと優しさに触れ、心が温かくなる。
 
ほどなくして探してくれた別の席に移動して感謝を伝える。
車掌さんは一度去ると、数分して戻ってきた。
 
車掌「いま移動された席は大阪から別の方が隣に座られるので、広島まで横に誰もいない席を改めて探しました。そちらに移動されますか?」
 
わざわざ、姿が見えなくなったあとも気にかけてくれていたのかと少なからず感動する。
こんなことでも新幹線というものが好きになるし、旅が楽しくなるような予感がしてくる。
先ほどよりさらに丁寧に感謝をしながら新しい席に移動して、僕はリュックから小説を取り出す。
 
タイトルは『雲のむこう、約束の場所』。
新海誠監督が2004年に公開した映画のノベライズ版だ。
 
ただ映画を本にしたというわけでは、まったくない。
ノベライズ版著者の加納新太さんが、繊細に情景や心理描写を加え、丁寧に映画作品の補完を挟みつつオリジナルストーリーも盛り込んだ秀作となっていて、1つの小説として映画とはまた違う意味合いで味わい深く完成している。
 
 
第二次世界大戦後、ロシアを筆頭に生まれた共産国家群「ユニオン」が北海道を「エゾ」とし支配下に置き、天高くそびえ立つ塔を設立。
主人公らは青森に住む学生で、塔を海の向こうに見て育ち、飛行機を作る。
 
僕はこの作品は、塔を巡る主人公たちの「憧れとしがらみと約束」の物語だと思っている。
実はストーリーの根幹として平行世界の話なども絡んでくるので2004年当時としては目新しさもあったんじゃないだろうか。
興味がある人には是非小説を読んでほしい。
映画からでも勿論大歓迎する。
 
 
 
 
さて、そんな『雲のむこう、約束の場所』には
主人公とヒロインの少女がヴァイオリンを弾くシーンがある。
曲の題名は「遠い呼び声」。
この作品のテーマソングでもある。
ふわりと浮遊したまま所在なく曲は終わるのだけど、
それがこの作品の本質的な部分とよく似ていると思う。
 
名古屋から2時間ほど読書に没頭した僕は、次の駅が広島というアナウンスを聞いて、広げていた荷物をそそくさとまとめる。
 
そして、どんな音楽を聴きながら降り立つのが良いだろうと少しだけ考え「遠い呼び声」を選ぶ。
なんてったって、タイトルが今日の目的地に合ってるかもしれない、浅はかな気持ちでこの時の僕はそう考えていた。
 
Amazon musicでダウンロードしたヴァイオリンの音に静かに心を震わせながら、僕は広島駅のホームへ降り立った。
 

はじめに

以前テレビ番組でやっていた内容で印象に残っているのは「アドバイスはベクトルのようなものだ」という言葉だ。

いろんな人のいろんな言葉に実は人は影響を受けていて、ベクトル合成のように人生の方向を変えられている。
それは線を長くすればするほど当初から逸れているのが分かるもので、結局、自身が気付いているいないはともかく自分の道は本当に様々な要因で簡単に変わるのだと思う。

 

それは僕にとっては大きいもので括ると例えば一冊の本との出会いや、心の病や、音楽による感動や、振られたことへの動揺やらで、沢山ある。

そんな分かりやすいものがある一方で、当時は気付いていないだけで友人の言葉や生き様を通して潜在的に影響を受けていたうえで自分の選択というのは決められていたのだなと振り返った時に思ったりすることも非常に多い。

 


このブログで僕が書こうとしているのはできるだけ素直な僕の心の動きだ。

 

振る舞いが悪いことは自覚しているが僕は表面的な人に見えやすいらしい。
だからこそ、こんなことを考えているんだよというのを他人に覗いてもらって、ふーんそんなこと考えてるんだこの人は、とでも思ってもらえたらいい。

それを機に、じゃあオススメしていた本を読むかとか、この場所行ってみようかとかこういうときアイツはこんなことかんがえそうだなとか回りまわってその人に何かしらの影響を与えるのではないかと僕は思っている。

あわよくば自分も誰かの良い道にとっての一助になれていたら良い、そんな風に思う。

 

あと、なんていったって人の思考の痕跡を見るのが僕は好きなのだ。
僕の思考の痕跡に需要があるかは置いておくとして、まずは自分がやられて嬉しい(面白い?)ことをしてみようというのに意義がある。

 

できるだけ、大衆が見ているからと取り繕った言葉はつかわないことを約束する。

それは見る人にとって不愉快な気持ちを抱かせる可能性も孕むけど、読むかどうかは自己判断にしていただけると助かる。

 

また、これは完ぺきに僕の自己満足なのだが、できるだけ誰かを思い浮かべた時にその人のことを記したい。理由は人は人に影響を受けるものだと思うからだ。

自分にとって影響を受けた人をこの時どう思っていたどう思い浮かべたのか記すのは、自分なりに意味があると判断した。

「〇〇(イニシャル)先輩/同期/後輩」くらいに濁すが、いつかこれを読んだ人も文章内に登場するかもしれない。申し入れがあれば素直に消す。

 

 

このブログのタイトルは

「微睡みに漂う言葉」とした。

微睡みは僕にとって幸せな瞬間の一つだ。

けど、このときの夢から引き続き抱いていた感情とか、湧き上がる思いは

覚醒するにつれて忘れられていってしまう。

いつももどかしいなと思う。

 

ただ、それは微睡みの時だけじゃない。普段の生活の中でも同じだ。

このときはこんなことを考えていたみたいなのを人はすぐ忘れてしまう。

(それだけにとどまらず後から改変すらしてしまう)

 

僕は日常に溢れた想いをできるだけ真摯に残したい。

そんな思いも込めてこのタイトルにした。

 

 

「言葉は人の心に火をつける、文字は人の心を温かくする」

そう思っている。

僕の綴る思いが意図せず誰かの心を温めていることを切に願う。

 

2020/11/18