微睡みに漂う言葉

思ったり、考えたり、気付いたり、そんなことを綴っていきます。

昨日星を探した言い訳

 

 

今回は趣向を変えて、本の紹介を。

僕がここ数年読んだ中で一番好きな小説です。

 

 

[河野 裕]の昨日星を探した言い訳【電子特典付き】 (角川書店単行本)

(2020年8月24日 KADOKAWA

https://www.amazon.co.jp/dp/B08F9S7D68/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

 

 

昨日星を探した言い訳

 

もともと僕は著者の河野裕さんのファンだ。

ラノベやアニメ好きだったら知ってる方もいるかもしれないが、「サクラダリセット」の著者でもある。

 

あとは昨年公開された「いなくなれ、群青」という横浜流星・飯豊まりえ主演の実写映画の原作や、今日新刊が出た「さよならの言い方なんて知らない。」も河野さんの作品だ。

 

どれもあらすじだけでかなーーりワクワクするので是非読んでほしいが、今回は涙を呑んで河野さんの『昨日星を探した言い訳』にフォーカスしたい。

 

 

内容に触れる前にまず、この小説が著者にとってどういう存在なのか、インタビュー記事があったのでそちらを貼っておく。

 

――私にとってベースとなる小説を書こうと思った 『昨日星を探した言い訳』発売直前! 河野裕書面インタビュー | カドブン


全文読んでいただきたいところだが、一部抜粋すると…

河野: 小説を書いて生活するようになってから10年ほど経ったので、そろそろ私にとってベース(基盤)となる小説を書こう、と考えて書き始めました。

 

心情としては、以前は「小説とは著者のエゴで書くもので、そのエゴを失うくらいならある程度の伝わりづらさは仕方ない」という考えだったのですが、最近になって「あれ? 丁寧に伝えようと努力しても意外とエゴは消えないな」と気づいた、という感じです。

 これまで長いあいだ、私の基盤はデビュー作だったのですが、私の意識の中ではそれを更新できたように思います。

 

質問7 本作をどんな読者に読んでもらいたいですか?

河野:小説というのは、読もうとした全員に開かれているものだと思いますが、強いて言うなら「社会的な正義や倫理に興味がある人」と、「社会的な正義や倫理を語っている誰かの言葉に違和感を覚えたことがある人」です。

 という感じで、河野さんが自身の執筆活動の集大成として書ききった特別な思い入れのある作品であることが分かる。

 

僕は、発売前にこのインタビューを読んでめちゃくちゃワクワクしたのを覚えてる。

だって、好きな作家が本気を出した!ってわざわざ言うほどの内容だ。

そんなの気にならないわけがない。

 

しかもあらすじに目を通すと、これまた僕の興味をくすぐる絶妙な設定なのだ。

 

自分の声質へのコンプレックスから寡黙になった坂口孝文は、全寮制の中高一貫校・制道院学園に進学した。中等部2年への進級の際、生まれつき緑色の目を持ち、映画監督の清寺時生を養父にもつ茅森良子が転入してくる。目の色による差別が、表向きにはなくなったこの国で、茅森は総理大臣になり真の平等な社会を創ることを目標にしていた。第一歩として、政財界に人材を輩出する名門・制道院で、生徒会長になることを目指す茅森と坂口は同じ図書委員になる。二人は一日かけて三十キロを歩く学校の伝統行事〈拝望会〉の改革と、坂口が運営する秘密地下組織〈清掃員〉の活動を通じて協力関係を深め、互いに惹かれ合っていく。拝望会当日、坂口は茅森から秘密を打ち明けられる。茅森が制道院に転入して図書委員になったのは、昔一度だけ目にした、養父・清寺時生の幻の脚本「イルカの唄」を探すためだった――。

 

言いたいことは分かる。僕も初めてこのあらすじを読んだときに

「いや、情報量よ」

とめちゃくちゃに思った。

 

でも、改めて読み直すと、非常に面白い要素が詰まっていることが分かる。

 

 

例えば、

・生まれつき緑色の目をもつ人がいる

というのはこの話の特徴だ。

 

読んでみたら分かることなので言ってしまうが、この小説には「なぜ、緑色の目の人が存在するのか」ということに一切触れていない。

ただ、クラスに数人程度には緑色の目の人がいるし、歴史を振り返ると緑色の目の人は昔虐げられていたため今も差別問題が(表面上解決しているが)根底に残っているという。

 

それがどうしたの?と思うかもしれない。

しかし、それが微妙な感情として表出するのがこの小説なのだ。

 

例えば、この世界にはまだ緑色の目をした総理大臣はいない。

緑色の目の人の人権を守ろうというNPOのような活動が世の中にある。

当の緑色の目の人たちは、普段差別を受けている意識はないが、ふとした折に意識せざるをえない(成績が同じの黒色の目の人より、緑色の目の人が学校から悪い境遇を受ける等)。

 

この、平等とは言いつつ平等になり切れていない世界は、現代の日本が抱える様々な問題を彷彿とさせる。

 

ただ、この小説はそれらの正義を押し付けることはしない。

その余白のような部分もまたこの本の数多ある魅力だと思っている。

 

 

あと、僕のたまらなく好きな設定としてあるのが主人公たちの通う学校の「拝望会」の存在だ。

これは、昼頃から8時間ほどかけ30kmを歩き、最後に山の上の展望台に向かうという校内のイベントだ。

 

えーそんなの嫌だよと思うかもしれないから、本文の一部を抜粋する。

 

でもこの行事は、意外に生徒からは好かれている。

制道院の新入生であれば、先輩から必ず聞かされる言葉があるのだ。

ーーー拝望会で食うカップ麺は、世界でいちばん美味いんだぜ。

(中略)

嘘をついているわけでも、強がっているわけでもなくて、拝望会とはそういうものなのだ。世界でいちばん美味いカップ麺を言い訳に、ひたすら無意味な30キロを歩く会だ。

 p72、73

 

そういうものなのだ。

本当はちょっとめんどくさいが、まぁしょうがないなぁと自分に言い訳をして、友人と愚痴なんか言ったりしあいながら、終わったあとは確かな思い出として残る、そんな行事なのだ。

 

もし、この良さが分からないよーという方は、恩田陸さんの夜のピクニックという小説を読むか、早稲田大学の100キロハイクに参加してほしい。

歩くって、ドラマなんだぜ。そんなことが分かるかと思う。

 

実はこの拝望会ができた起源には緑色の目の人が虐げられた話が関連していたりするため、この時期の黒色の目の人と緑色の目の人の関係は少しだけぎこちなくなったり、主人公の一番の友人は足が不自由で車いすに乗っていたりする。

そこから生じる葛藤もまたなんというかリアルなのだ。

 

 

だめだ、この調子でこの本の魅力を語っていたら全く何千字あっても足りない。

もっともっと書きなぐりたいのを我慢して、この本の魅力をあと2つ伝えて終わりにしたい。

 

 

1つ目はこの本を読んで考える正義や倫理だ。

残念ながら答えは、ない。

ただ、理知的な主人公たちの会話を盗み見ていると、あれ?自分ならどう考えるだろうと思う。

人によって大事にしているものが違うから何かを決めることの難しさを痛感する。

前提が違うんじゃ分かりあうことなんてできない。

でも話すしかない。少なくともその努力には何か意味が生まれるはずだ。

ん?だけど、話す行為そのものに意味を見出してるのって本質的といえるのか。

そんな風にグルングルン思ったりする。

 

 

2つ目は、河野裕さんの表現力だ。考えさせられる。

地の文をここまでじっくり読みたくなる小説なんてなかなかない。

いくつか紹介してしまおう。

 

本心じゃ、運命なんてものは信じていない。でもある種の偶然に運命と名づける価値は知っている。 p276

 

どうせ、思いもしない形で後悔は生まれるんだろう。なら後悔の総量を減らすんじゃなくて、それを受け入れられる方を選びたかった。悲しい、苦しい、失敗した。でも。でも、なんだろう?わからないけれど、とにかく最後に、後悔に対して反論できる方を。 p284

 

僕は祖母を嫌う代わりに、あの人とは決して交わらないところを目指した。あの人が大事だというものの価値を否定して、別のところで大切なものをみつけようとしてきた。反対に進む、という意味で、あの人は僕の指針であり続けた。 p320

 

小説の醍醐味は、自分では言葉にできない感情を文字で的確に表されたときの感動だと思っている。

それがこの小説には、惜しみなく詰まっているのだ。

 

自分を知るために、本を読む。

そんな理由で手に取る小説があったっていい。

そして僕にとってはその一冊がこの、昨日星を探した言い訳だった。

 

 

 

この本を手に取った方がいたら、その方の琴線に何かが触れますように。

 

 

感想はいつでも待っているので、読んだ方はぜひ連絡ください。

 

 

 

初めての国際学会 ~Life is too short to be nervous~

 

初めての国際学会でいただいたあの言葉を僕は生涯忘れないだろう。

もう2年半も経つのかと思うと時の速さを実感するが、備忘録として残しておく。

 

研究、なにそれ美味しいのという人にも

当時の自分のワクワクが伝わるよう真摯に書こうと思うのでお付き合いただけたら嬉しい。

 

 

2018年6月25日。

僕はポーランドクラクフに降り立った。

翌日から始まるASSC(国際意識学会)への初めて参加ということで、とても、ドキドキしていた。

 

そんな緊張はさておき、現地に着いた日は学会が始まる前日だったので、

周辺を気分転換に散歩しようという話になった。

というのも、このとき歳の近いS研究員(6つほど上)と、A教授(この時初めてお会いしたが、非常に親しみやすい方だった)が一緒で、観光好きな方だったのだ。

このお2方がいたからこの学会の期間を楽しむことができたことは間違いない。

 

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 (クラクフ旧市街、斜めに撮ったらおしゃれかなと思ってたら、角度をつけすぎた)

 

さて、クラクフという街を知らない人はとても多いかもしれないので、ここで端的に説明しておく。

クラクフポーランド(ドイツの右隣)の首都だ。

これぞヨーロッパという街並みなのに物価は日本とそこまで変わらない。

中世の頃よりユダヤ人が住んでいたということで、歴史的にも価値のある建造物が多い。

特に僕らがメインでうろついていた旧市街に関しては、

道端でヴァイオリンを演奏していれば、馬を引いている人もいて 

RPGにでも出てくるような異国の城下町をイメージしてもらえばわかりやすいと思う。ただ歩くだけでも非常に楽しい。

 

hotels.his-j.com

(白夜で22時くらいまでずっと明るいので、時間の感覚をバグらせながら連日酒を飲んだ)

 

 

 

 

先輩方はウキウキしている。

若輩者の自分が地図を見ながら、案内して歩いた。

観光で先輩方が話すことは雑談も多々あったが、それ以上に研究にまつわる話も多かった。

昔の博士課程時代の話、人事の話し、 最近出た論文の信ぴょう性から、次の研究の計画案。

外国に来ているという開放感がそうさせるのかもしれないが、普段よりも生活に根差したというか、研究者のプライベートみたいな内容も多いように感じた。

今考えてみると、先輩方は当時博士課程に進もうか考えていた僕に対して、それとなくこちらの世界はこうなんだよというのを伝えてくれていたのではないかと思う。

その話を聞くのは、非常に楽しかった。あの尊い時間に今でも感謝している。

 

着いてまだ1日しか経っていなくて、翌日以降の不安もあった。

でも率直に、なんか学会期間ってもっとぴりついているのかと思ったけど楽しいんですねと言った。

すると、S研究員は

「学会は日ごろ研究を頑張っているご褒美みたいなものだ」

と話した。

 この時は、へーそうなんだくらいに思って「良いですね」と僕は返した。

 

 

自分は28日にポスター発表をする予定だった。

ポスター発表では、定められた2時間程度のあいだ、会場の1スペースに自身の研究成果をまとめたA0のポスターを貼り、興味を持って見てくれた人に説明する。

 

当然、参加者のほとんどに日本語が通じないわけだから英語で話すことになる。

 

この日のために5分程度の短い説明と

興味を持ってくれた人に対して10分程度の長い説明、

さらには想定される質問を30個以上考え、対応できるようにした。

 

初日の夜は、その対策を改めて見直したりした。緊張して寝れないのではと思ったけどなんてことは無く普通に寝た。

 

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(街並み。馬を引く女性が格好良すぎた)
 

 

 

一夜明けた26日目午前は、ちゃっかり近くのアウシュビッツ強制収容所を観光した。

きっとちょっと観光し過ぎだと思う、ごめんなさい。とても楽しかったです。

 

そして午後から学会入りした。 

なんといっても、この日の醍醐味は大ホールで行われたPatric Haggard教授の講演だ。

 

ハガード教授は、自分の研究する分野の権威で15年以上前からその界隈を先導する人物だ。この研究テーマを取り扱っている人でハガード教授の名前を知らない人はまずいない。

ポケモンで言うとピカチュウくらい有名な人だ(?)

 

僕が発表する予定だった研究もハガード教授ら研究チームの実験の派生のようなものだったし、彼の論文の多くを僕は読んでいた。

 

正直、この日の講演内容は抽象的な話が多く、自身のリスニング能力も相まって理解に乏しくなってしまったが、なによりも快活に楽しそうに話すハガード教授の姿が印象的だった。

 

その後、僕は学会会場をうろつく。

このとき脳科学者の茂木健一郎さんがいた。

道に迷われているようだったので、こっちが会場ですよと端的なやりとりをしたが、そうかこういう方も発表されるんだよなぁとしみじみと思った。

 

 

そのさらに翌日、僕は前日と同じホールで別の人の講演を聞いていた。

ぼけーっと眠くなったところで、一つ席を挟んで隣に座って来た方がいた。

ハガード教授だった。

 

めちゃくちゃビックリした僕は一気に目が覚め、もともと怪しかった講演の内容も一切頭に入らなくなった。

ハガード教授だよな?昨日話してた?本物だよな?話しかけてもいいのかな?と心臓がバクバクいっていた。

 

そして講演が終了した。

ハガード教授はそそくさと席を立ち上がって別のところに向かおうとしていた。

 

僕は、咄嗟にExcuse me ! と叫んだ。

きっと自分自身覚悟ができず、呆けた表情をしていたままだったに違いない。 

 

ハガード教授はこちらを振り向くと笑顔で応えてくれた。

そして改めて席に座ると、きらきらとした眼差しでこちらを見つめてきてWhat's ?みたいなことを言って聞き返してくれた。

 

彼の紳士的な対応に安心した僕は必死に言葉を紡いだ。

『自分はあなたの研究の論文を読んでそこから派生した内容を明日発表するんです。もしよかったら聞きに来てください』みたいなことを言ったのだと思う。

 

すると、ハガード教授はプログラムを取り出すと、どれだい?みたいなことを聞いてくれた。

僕は近づいて、自分の名前を指差し、これです。このポスター発表です。と伝えた。

ハガード教授はその部分に大きく丸を付け、必ず行くよと言ってくれた。

 

そして、ここまできてようやく僕も理性を取り戻し始めた。

ちょっとだけ今の環境に怖くなった。

予防線で、来てくれると嬉しいです、でも緊張してうまく話せるかなぁ…といったニュアンスのことを伝えた。

 

すると、ハガード教授はこちらを爛々とした目で見据えて

『Life is too short to be nervous.』と言った。

 

僕は、その言葉にただ何度もうなづくことしかできなかった。

すると、ハガード教授は笑顔を浮かべ颯爽と去っていった。

 

 

しばらく僕はその場から動くことができなかった。

これはすごいことだ。

いつも目を通している論文の著者に会えたんだ。しかもあのハガード教授だ…!

だってジャニーズなら、入って早々キムタクが笑顔で話しかけてくれたようなものだ。そんな貴重な機会に恵まれるなんて…。

 

 

あとでS研究員と合流して、そのことを報告した。

するとS研究員もおーすごいねって喜んでくれたあとに、「まぁでもそれがやっぱアカデミックの良いとこだよね」みたいな言葉を言っていた。

 

この世界は、歳をとっているから偉いというものじゃない。

研究者は研究者同士尊敬しあっていて、ポジションの違いこそあれど、対等な立場で議論をする。だからこういった権威ある教授と1学生の交流やディスカッションが生まれることもざらにある。

 

これは一般の会社には、なかなかない感覚だろうなと思う。

真摯に学問に向き合っている人たちに許された特異な場だ。

 

 

まったく、何が

「学会は日ごろ研究を頑張っているご褒美みたいなものだ」だ。

ちゃっかり、皆こういった場で新たな縁をつないでいって未来の研究に活かしている。

ご褒美というには若干スリリングすぎる。

S研究員はそういうことも全部分かったうえで、僕の気持ちを軽くするために言ってくれていたのかもしれない。

君次第だよと試されていたわけだ。背筋が伸びる思いだった。

 

 

その翌日、多少のトラブルはあれど、僕はそつなくポスター発表を終えた。

しかしハガード教授が来ることは無かった。

 

 

帰国して一週間ほど経ったある日、ハガード教授からメールをもらった。

 

ポスター発表に行きたかったが学会運営側の会議が入ってしまって行けなかった。

後でデータで君の研究を見たが「It is extremely interesting」な部分があった。

 

といった内容だった。

 

 

当然、これを機に僕はより研究生活に邁進していくことになる。

一週間弱の国際学会はとても印象深いものになった。

 

にしても、あのときのハガード教授の言葉、

『Life is too short to be nervous.』

こんなキザなことをあのタイミングで言うなんて。

 

 

人生は緊張するにはあまりに短すぎる。

 

 

なんて、背中を押してくれる言葉なのだろうか。

あの日あの時、勇気を出してハガード教授に話しかけたことで、また新たな勇気をもらえた気がした。

 

うん、絶対に忘れない。

僕もあの輝く眼差しで未来を見つめる人になりたいと強く思った。

 

 

研究とは何か ~K研究員との思い出~

 

これから不定期に、大学院で過ごした非常にかけがえのない時間を振り返ろうと思う。

 

M1の4月になる前からおよそ1年半の時間をかけて僕は博士進学をするか悩んでいた。

そんな僕が今は大学の研究とは全く関係ない(それどころか理系でもない)職場で働いている。

 

後悔はないが未練はある。

 

それだけ素晴らしい時間を院生時代に過ごしてしまったからだ。

何よりもK研究員と会えたのが僕の研究生活、

ひいては人生において、なによりも幸せなことだった。

 

K研究員は僕より10歳上の非常に優秀な研究者だ。

彼は面倒見がよく、誠実で、スパルタで、ユーモアにあふれていた。

澄んだ世界で静謐に研究と向き合うK研究員は格好良くて、

いつかその世界に自分も行けるのだろうかと憧れていた。

 

K研究員との日々で思い出すのは、論文発表の時間だ。

 

まだ学部4年生の5月くらいから、週に1,2本論文を読んだ論文をまとめて

K研究員の前で発表した。

 

K研究員は、たどたどしい僕の発表を聞いて、

いつも僕よりも深く論文の内容を理解した。

 

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(1つの論文でだいたい5,6枚のスライドにまとめて解説した)

 

K研究員がよく仰っていたのは、

「この研究をあたかも自分がやったかのように私に発表しなさい」

ということだった。

 

例えば、実験方法を説明しているときも

「なぜ、○○を調べたいのに、この条件は変えなかったのか」などと聞かれる。

そこで、僕は「自分がやった実験じゃないので知りません」とは言わず、

「○○の理由で実験1では調べていません。しかし関連実験としておっしゃった条件を変更させたものを実験2では調べています」などと反論したりしなければならない。

 

いま考えれば、あの時間があったからこそ

論文を読むのではなく、論文を理解する努力を怠らなくて済んだのだと思う。

僕はK研究員を心から尊敬していて、失望されたくないから努力を続けた。

そういった頑張り方もありなのだとこのとき学んだ。

 

 

いつも論文発表するとK研究員は、たくさんの指摘をした。

「このデータは統計的に有意だが効果は小さいし再現性は低いだろう」とか、

「この実験環境では外部要因が多すぎてこの結論は断定しきれない」など

当時の僕は、同じものを見ているはずなのに見える世界がK研究員と僕で全く違うことに驚いた。

 

いつだったか、K研究員は僕に対して

「本当に良い論文は実験方法を見ただけで結果を見なくても感動する」

と言っていた。

 

学部生だった僕は、まず論文を読んで感動という言葉の意味が分からなかったし、いや方法が良くても結果を見ないと分からないだろうと思っていた。

 

しかし月日が経ったM2のある日、論文を読んで震え上がった。

それは1年くらい僕が、関心はあったけど実験に落とし込むには諸要因が多すぎてどうしようか悩み続けていた条件に関する実験の論文だった。

 

Introductionを読んだ。そうそうこれこれ、気になってたんだと思った。

でもこっから実験に落とし込むのは難しいよなと考えたところでのmethod。

 

こんな、結果に差が出ても出なくても意義があり、かつその要因が一義的に定まる優雅でシンプルな実験統制があるのかと驚いた。

 

まじかよ、と興奮した。

そうか!!こうすればよかったのか!!!ととても悔しい気持ちになった。

でも、さらにこの部分は詳しく調べる必要があるなと冷静になった。

もっとこの世界のことを知りたいと思った。

 

たった一編の論文に心揺さぶられるなんて、そのときまで考えたことは無かった。

良い論文を読むと、うれしくなる。

K研究員の

「本当に良い論文は実験方法を見ただけで結果を見なくても感動する」

という言葉の真意を少しだけでも汲めたような気がした。

 

 

 

K研究員の言葉で救われたものもある。

 

たしか学部4年の夏とかで、優秀な研究員に囲まれる生活の中、

自分はここまで実直に研究と向き合えないと弱気になった時があった。

 

なんで周りの研究者はこんな真摯に真理を追究しているのだろう。

それはプライベートや多くの代償を払ってまで、本当に自分がやらないといけないものなのか。

その研究にどれだけ社会的意義を見出しているのだろう。

 

「こんな一般の人にとって何の意味も持たないような研究をすることへの意味を僕は見いだせないんです…」と、怒られるのではないかと少しビクビクしながらK研究員に弱音を漏らした。

 

そのときK研究員がゆっくりと紡いだ言葉は、彼が研究に身を捧げた特別な人間だと信じていた僕の意表を突くものだった。

「正直なことを言うと、私も研究そのものに意味があると信じて頑張っているとか、そんな高尚なものじゃないんだ」

「科学っていうのは本当にすごい人が、何年か何十年かに一回、大きく前進させてくれる時があるけど、僕たちみたいな『じゃない人』はそういう天才のための整備した歩きやすい道を作っているんじゃないかと思うときがある」

「ただ、これは面白いことなんだ。研究っていうのは、世界中の天才たちとの知恵比べみたいなもので、ゲームのようなものなんだ。こういうもの考えて証明したぞとかを、顔も知らない人と時には競い、時には協力する。また、自分の成果を使って誰かが新たな小さな一歩を踏み出してくれている。それが楽しいから続けている」

 

確かそんな感じのことを言った。

 

「研究は世界中の天才とのゲーム」

そんな言葉を研究熱心で実直なK研究員が使うとは思わなくてびっくりした。

 

けど、この言葉は確実に僕を救った。

そうか、もっと「今、楽しい」という感情に目を向けてもいいんだと思えた。

 

いまでも、僕は世の中のありとあらゆる困難な局面と向かい合ったとき

「これはゲームだ」と考えるようにしている。

すると途端に、気持ちがすっと軽くなって、わくわくが始まる。

 

あの、何気なくかけがえのない日のK研究員の言葉は、

僕の心を生涯支え続けると思う。

 

 

 

 

広島を歩く〜⑤弥山と夕べ

 
ロープウェイで山頂まですぐ着くかと思ったら、
そもそもロープウェイまでが遠かった。
 
緩やかな山道を歩く。
紅葉がきれいで秋に来てよかったなと思う。

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(着物姿でここ歩くのすごいなと思ったけど風景によく合っていた。ギリギリ肖像権的にセーフな写真と信じて…)

 
鹿もたくさん。
ここでようやく一眼で鹿をシャッターに収める。

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(目がきらっきら!ばんびかわいい。)
 
15分も歩くと思っていたよりもよっぽど本格的なロープウェイまでたどり着いた。
途中一回乗り継いで頂上に向かう。
 
 
ゴンドラから降りたのはちょうど16:00くらい。
ただ帰りのロープウェイは長蛇の列となっていて、なんでも70分待ちらしい。
 
登ってから分かったのだけど、このロープウェイの到着地から弥山の頂上までは片道30分ほどさらに登山をしないといけないらしい。
 
ただし最終のロープウェイ下りは16:30。
間に合わないかもしれないという思いはあったけど、70分待ちだし少なくとも17:00くらいまでは動いているだろうと見越して登山を決断する。
 
 
…正直、めちゃくちゃきつかった。
リュックサックは参考書も入れていたから重量があるし、暑いからコートも脱いでいた。それでまた荷物が多くなる。
一段一段はあまり幅がないものの坂道と階段が交互に来るせいで自分のリズムが掴めない。
 
さらに心細かったのは、反対方向から下山する人にしかすれ違わないことだ。
誰ももう登山はしてないらしい。
「果たして帰りに間に合うのか」と自問自答しては、わ、まつぼっくりだー、なんて一人で考えて現実から都合よく目を背けていた。
 
 
20分ほどして、広場に出た。
(20分って大したことないじゃんって思うかもしれないけど、荷物重&心の焦り&全力ダッシュで相当厳しい!)
 
疲れて一度ベンチに座ると汗が次から次へと溢れ出す。
頂上まではあと300メートルほどだということだ。
 
今来た道を戻っても16:30には間に合わないが、下山のロープウェイが運行している時間にはきっと帰れるだろう。
逆にこれ以上進むと戻るのは17:00前になってかなり怪しい(というか迷惑)かもしれない。
 
 
悩む。とても悩む。
まぁ最悪、徒歩下山のルートも整備されているらしい。間に合わなかったら自己責任でその道を選ぼう。嫌だけど。
ごめんなさいという気持ちを抱きながら僕は登山を決意した。
 
ガクガクになった足に鞭をうってダッシュで上へ上へと目指す。
麓で見たばんびの足取りを心配している場合では全くなかった。
 
ラマーズ法を駆使しながら呼吸を整える。
使い方は違うかもしれないが関係ない。
がむしゃらに走っているせいか頭の位置もぶれぶれで目まぐるしい。
こんなに苦しいの久々だ。
 
でも、のぼる。のぼるのぼるのぼる。
そして、頂上にたどり着く。
 
 
当たり前だけど誰もいなかった。
 

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(良い色だなと思いながらも余裕がなくて乱暴にシャッターを切る)
 
沈む夕陽を独り占めするのは心地よいが疲労感と切迫感がサンドイッチに押し寄せてくる。
3分だけ、と決めて腰を落とす。
 
息を整え、インナーだけになる。
周りを見渡すとこんなところにも鹿がいた。
ここには上げないが、せっかくなので一緒にツーショットを撮った。
全くこっちに関心を示さなくて、そんなありのままの振る舞いが愛おしくなる。
 
時間が過ぎるのがあっという間すぎる。
約束を守る男になろうと突然決心して、その場を去る。
 
分かっていたが、足に疲労がたまると下りのほうがキツイ。
ふとした拍子に膝から崩れ落ちそうでとても危険だ。
 
僕はできるだけ何も考えないまま階段を下ろうと段数を数えることにした。
200段目くらいで、二人組のおばさま方とすれ違った。これからこの人たちは上を目指すのかと自分を棚に上げて驚いたけど、会釈をするだけに留めて走り抜けた。
 
命からがらという表現ではないのは分かっているが450段ほどの階段(実際は坂もかなり多いから体感としてはもうプラス200段近くある)を数えてやっと戻ってきた。
 
時刻は16:42。かなり頑張ったと思う。15分弱で戻ってこれた!
 
まだ下りの列に並んでいる人は数十人いて安心する。
と思ったのもつかの間、スタッフの方が荒々しく来て、そろそろ締めるから早く建物に入るようにと促していた。
あまりにもテキパキとドアに鍵をかけたり、ものを片づけるものだから本当に早く帰ってきてよかったと思った
それと同時に、あのすれ違ったおばさま達は戻れるのだろうかと不安になる。
 
結論から言うとおばさまたちは途中で道を引き返す決断をしたからなんとか最終のロープウェイ(16:55頃)には間に合った。スタッフの人は怒っていて怖かった。
 
そして、一緒にゴンドラに乗りながら間に合ってよかったですねぇなんて話していると、どこから来たのと聞かれた。
僕は一瞬だけ悩んで、愛知です、と答えた。
おばさまのうちの一人の娘さんが愛知で働いているらしくて、話が弾んだりした。
 
僕は愛知から来た人にカテゴライズされるんだよなと改めてこのとき思った。
それがなんだか寂しくて、少しだけ受入れ難かった。
 
 
下山をして、来た道を戻り、帰船する。
心地よいというには強がりなほどの疲労を抱いて広島電鉄に乗り込む。
 
帰りは早いもので体感としてはすぐに宿につく。
 
夜ご飯を食べる相手もいない。
現地のバーなどに行って誰かと仲良くなるということも考えた。
けど、いま一歩のところでそこまでしようという気持ちになれない。
 
とりあえずは観光地として有名な、
「お好み村」というビルの中にお好み焼きが数10軒入っているところへ行く。
もくもく食べて酒を飲む。
美味しかった。
 
んーどうしよう。何かもったいない気もする。
こういうとき、T同期とかなら迷わずガールズバーとかに行くのだろう。
彼と一緒に奄美大島に旅行行った時もそうだった。
彼の選択肢にはあまりにも自然にガールズバーがあり、一緒に行った。
システムとしては正直あまり自分には向いてなかったが、地元の観光地とかオススメを聞けるという意味では、値段以上の意味もあったことを思い出す。
 
でも、コロナ禍だしなぁ。
 
素朴で優しい雰囲気をもつM後輩を思い出す。
彼女ですら、会社の先輩がガールズバーに行きコロナ陽性になったとかで、信じられない!と憤慨していた。
万が一、自分が今からそういうところに行ってコロナにでもなってしまった日にはM後輩に怒られるに違いない。
それはそれで少し魅力的だけど、リスクのほうがだいぶ上なのでやっぱやめようと思う。
 
結局、僕がしたことというのはコンビニでストロングとつまみを買うことだった。
 
ホテルの部屋に戻り一人Youtubeを観ながら晩酌する。
しっかりこれはこれで幸せだった。
 
幸せの形を決めるのなんて、ほら自分次第じゃないか。
 
眠気に誘われた僕は23時を待たずして寝てしまった。
 
 
 
 
 
 

広島を歩く〜➃宮島に辿り着く

 
原爆ドームの隣にある折り鶴タワーで昼飯を食べようと思ったらコロナの影響で営業していなかった。
入口の窓ガラスをじっと5秒ほど見つめていたけど、何も変わらないからやめた。
 
でも、ラッキーだ。それなら僕にも考えがある。
一人でそんなことを思いながら、広島名物なる汁無し担々麺を食べようと近くの店を調べ10分ほど歩く。
 
着いたのは「汁なし担々麺 麻沙羅 」
強そうな名前だ。マサラタウンがこの麻沙羅 表記なら、サトシもポケモントレーナーではなく天下一武道会で優勝を目指していたに違いない。
 
注文時、聞かれたのは「辛さ」と「しびれ」。
しびれは山椒によるアクセントらしい。関東や東海ではあまり聞かない文化だ。
無難に中程度の辛さとしびれでお願いする。
 

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(ご飯と温泉卵もついて700円だから、お得感がある。)
 
予想を裏切らず、よく混ぜ、食べるととても美味しく、ここで学生生活を過ごしたら定期的に食べるのだろうなと思った。
食べ終わったあと唇が少しヒリヒリした。
でもこれもきっと癖になるのだろう。
それこそ、しびれを切らしたら来るようなところなのかもしれない。
 
 
時刻は13:00過ぎ、広島電鉄のフリーパスを購入し宮島に向かう。
最初の数分こそ窓の向こうの見慣れない景色を見ていたが、再び『雲のむこう、約束の場所』を読み進める。
 
 
作中出てくるヴェラシーラという名前をつけられた白い飛行機は、名付けられたその瞬間から「可能性」が宿る。
やはり名前をつける行為というのは尊い(と僕は考えている)。
これはこういうものだという在り方を外に表明する。
名前というのはそれだけある種の責任があるものだ。
 
画竜点睛という言葉がある。
確か、竜の絵を描いて最後に目を書き加えたら実際に飛び出していったみたいな逸話があって、そこから「物事を完成させる最後の仕上げ」というニュアンスになったはずだ。
 
僕は創作物の画竜点睛はタイトルにあると思っている。
勿論先にタイトルありきで始まるものも多くあるのだが、やはりタイトルが端的にその創作物のあらゆる可能性を内包すべきだし、最後につけるのが良いのだと思う。
 
だからというか名前をつけるというのは僕としては神聖な儀式みたいなもので、かなり時間を要する。
自分が新しく名を与えるというよりかは、どちらかというと対象がもつ真名を捉えようと当てもなく探す旅に出るという方がニュアンスとしては近い。
 
その難しさを少しは知っているからこそ、素敵なタイトルの作品に出会うと心震える。
例えば、
 
八重野統摩さんの「ペンギンは空を見上げる」
三秋縋さんの「君の話」
河野裕さんの「昨日星を探した言い訳」
 
上記小説は読み終わったあとに、このタイトルで良かった。このタイトルをよく見つけてくれたという気持ちになる。いつか自分も自身の創作に対してこれしかないという名前をつけてみたい。
 
 
宮島口まで着いてフェリーに乗る。
恥ずかしながら、つい先日まで宮島は江ノ島と同じように本島と橋で繋がってるものだと思っていたから、フェリーに乗れてラッキーだという気持ちがあった。
 

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ななうら丸、素敵な名前だと直感的に思った。七に浦だと良いな。)

乗船は良い。出港の浮足立ったワクワク感が乗客全員にそこはかとなく共有されている気持ちになる。
また、旅が始まる。そんな風に思う。
そしてあっけなく進み始めた船は、わずか10分の時間で宮島までたどり着く。
 
 
着いてすぐ、鹿がいた。
あまりにも普通にいすぎるためか、既にいた観光客でシャッターを構えている人はいない。
少しお上り感があると思われるのが恥ずかしくて、僕は写真を撮れなかった。
 
周りを見渡すと一人で来ている人は少ない気がする。そのことに寂しさを感じながら歩く。
 
鹿はやっぱり結構いた。
鹿が見えなくなって1分も歩くとすぐ次の鹿に会うくらいにはいた
案外、個体によって毛並みの綺麗さとか違うものだと思った。
 
そういえば、今仕事でやり取りをしている女性も、苗字に「鹿」の文字が入っていた。その人(Sさんとしよう)は、ある企業の広報の方なのだが、打ち合わせのために数度メールや電話をしている。
文面も非常に丁寧で好感が持てるし、朗らかな電話越しの声も耳に心地よく、役得だと思っている。
 
Sさんと僕は恐らく一生会うことは無い。
なのに影響を受けて、もっと自分も他人にやさしくしようと思える。
それって改めて考えると不思議なことだ。
 
(余談だが、後日仕事でZOOM会議をしてSさんと1分ほど話した。
 やはり文面や声から想像がつくような素敵な人だった。
 歳は同じくらいか少し上の気がするが、左手の薬指に指輪があるのが見え、幸せな結婚生活を送っているといいなと心の底から思った。…でも率直なことを言うと少しだけ寂しくなった。どうせ会うわけでもないのに、なんと自分勝手な感情だろうと自分でもあきれた)
 
 
厳島神社の大鳥居は、前情報通り工事中だった。

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(なんか悪いことしたのかなってくらい囲われてて笑ってしまった)
 
もし、これが満潮時にしっかりそびえ立っていたら迫力あるだろうなぁと思った。
ただこの時間は残念ながら干潮のピークに近いくらいだったので、正直あまり見応えはなかった。
潮が引いた砂浜を散策する観光客が潮干狩りをしているようだし、これぞ厳島神社!という荘厳とした雰囲気ではあまりなかった。
 
300円ほど払えば、神社内の廊下も入れるのだけど今回は諦めた。
せっかく行くなら満潮で大鳥居が見えるときが良い。
また来る言い訳をそっと置いておく。
 
 

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(そうだ、宮島に行こう。そう言いたくなるような一枚だ。もし満潮ならだけど。)
 
ただ、ここからどうしようかと思う。
あまり宮島のことを調べずに来たせいで途方に暮れる。
 
近くの看板を見る。
書いてあったのは弥山というパワースポットの山へのロープウェイ&登山。
そしてもう一つは宮島水族館
 
一人で水族館に行くのもいい。
ただ、山は一人で登りたい。そのほうが気が楽だ。
なので、未来の可能性を残すため前者を選ぶ。
 
いぇい登山スタート!なんて心の中でウキウキする。

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(山への入り口、紅葉がきれい)
 
この時は知る由もないが、
今年いち過酷な2時間が始まりを告げた。
 
 
 

広島を歩く〜③原爆ドームと平和記念資料館

 
原爆ドームは耐震工事中だった。
 
鉄骨に囲まれた姿は、まさに治療中といったイメージを受けた。
壁についたシミやレンガの剥がれ方が生々しかったけど、正直なことを言うと、想像していたような衝撃は自分の中に訪れなかった。

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(近くから見た原爆ドーム。破損の仕方は痛ましい)
 
 
そのまま囲むようにくるりと回る。
反対側の案内板には高齢の女性が立っていた。
「無料で説明する」といった類のフリップを持っていて、せっかくだからお聞きしたいとお願いする。
 
そうしたら女性は観光で来ていた周辺の数名にもこれから10分ほど説明しますので、良かったら聞いていってほしいといったニュアンスのことを言った
彼女の周りには僕を含め5名ほどが集まった。
 
 
聞いてよかった。そう、心から思う。
彼女の言葉には、とても、説得力があった。
話しとしては、なぜ広島に原爆が落とされたのかから始まり、落とされるときの米軍の動き、そして落とされてからの日本の現状を主としていた。
戦時中軍事基地があったからこそ被害があったとき国民の絶望が大きい点や、これまでも戦争の被害を受けていない広島だからこそ原爆の威力を正確に測定できるという面に、非人道的な行いですら実験に落とし込む米軍の賢朗さが垣間見えた
1番印象的だったのは今僕が立っているこの地面の下にも当時の死者が眠っているかもしれないということだった。
そこ迄の想像はできていなかったから、聞いたときにはかなり衝撃だった。
 
 
女性の話はなんやかんや30分ほどあったと思う。
彼女の周りにはいつの間にか20人を超える人が集まっていた。
それだけの人が関心があるのだと少しだけ驚いた。
 
僕はできるだけ正確に女性の意を汲み取ろうと真剣に聞いていた。
ただ、途中から目眩を覚えてその場に腰を下ろした。
これが単に3時間睡眠の弊害か、話を聞いたことによる衝撃なのかは自分でも判断が出来なかった。
ただ、呼吸がいつもより少し難しいと感じていたから後者の影響も少なからずあったのではないかと思う。
 
女性の話の内容も印象的だったが、話し方も記憶に残る。
なんていったって明るく、話されるのだ。潤んだ目だって前のめりに見える。
それは額面通りにはどうしたって受け取れない。
彼女の話し方は逆説的に当時の悲惨さを助長していた。
僕はこんな説明の仕方があるのかと畏怖を覚えた。
 
話を聞いたあと、女性に今日話を聞けて良かったと感謝を述べた。
そして去ろうとしたとき、彼女は「折角ここまで来たのに最近は写真だけ撮ってサッと帰る人が増えている。それはなんというか勿体無い」というニュアンスのことを言った。
 
きっとそうだと思う。
写真を撮れば満足する、なんてことは今の世の中ありふれている。その場の記憶を留める手段を五感ではなく機械に委ねるのは便利な世の中ゆえだ。
情報が奔流する中では、自身の心に刻むよりも、風景を切り取る方が見返せるし消費期限は長くなるから、それが必ずしも悪いとは思わない。
 
けど、僕は彼女のその言葉を聞いてしまったから改めて原爆ドームを見た
重いな、と感じた。強く。
 

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原爆ドームと説明をしてくれた女性。説明後、平和を求める署名活動も控えめにお願いしていて人柄の良さが表れるようだった)
 
 
それから僕は周辺を回った。
 
まず行ったのは国立広島原爆死没者追悼平和祈念館だ。
この施設は、戦争や原爆の説明よりむしろ、死没者の情報収集と提供を主としている。
スクリーンに原爆で死没された100名以上の方の名前と写真が表示され、数秒で別の亡くなった方に入れ替わっていたのだが、「一巡するのに2時間ほどかかります」と記載があって改めて多くの方の命が失われたことを感じた。
 
そのまま、原爆供養塔、原爆の子の像、平和の灯、原爆死没者慰霊碑など近くのところを見て回った。
そのそれぞれについて思うところはあったが、特に印象的だったのは平和の鐘だ。

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(平和の鐘。さきほどから修学旅行に来ていた中高生が不定期に突いて、よく響いていた)
 
これがモデルではないらしいが、『HEIWAの鐘』という合唱曲を思い出す。
先ほどから断片的に突かれていた鐘の音は、どれも心の奥深くに入り込んで何かを訴えかけ揺るがす力があった。
「こぶしを広げて繋ぎゆく 心は1つになれるさ 平和の鐘は君の胸に響くよ」
本当にそのとおりであってほしい、実感を伴ってそう思った。
 
 
平和記念資料館のことも書き記しておきたい。
せっかくだからと、音声ガイドも借りた。
70近い説明が入っていて、うちの半分くらいは吉永小百合さんがナレーションを担当されていてそれがまた胸を打つ。
 
沖縄のひめゆりなどもこれまで行ったことはあったから、どういったものがあるかは予想していたが、だからといって受け止めきれるわけではない。
例えば、衣服。
助かることができなかった子どもの衣服が展示されているが、その生々しさに苦しくなる。
 
もう助からないのに最後に病床でお腹いっぱいお粥を食べ両親にありがとうと述べる児童の話や、放射能で戦後に家庭を狂わせれた話、どれも平和に生きている今、経験することはない。
 
泣きそうになるとき、身体がブルっと震え喉の奥に違和感が生じる。
何度もそんなことを繰り返した。
 
死を身近に想像することで、生を実感する。
それはよくある例だけど光と影みたいなもので、不可分なのだ。
普段は小説を読むことで僕はその経験をするが、本は閉じればいつだってひと呼吸つくことができる。
 
ただ、展示会というのは休めない。それが心に堪える。
見ている時間が長くなるにつれ心の深いところまで自身が沈んでいき、戻れるのか少しだけ不安になる。
 
 
地下ではひっそりと『この世界の片隅に』の展示が行われていた。
じっくり見て、健気に、真摯に、足元を踏みしめて生きることの尊さを学ぶ。
 
『遠い呼び声』を聞いてから原爆ドームに行くのは自己満足的な考え方だったなと振り返る。
その行為は、きっとこんな感じのものがあるだろうと予想をして答え合わせをしにいく自己完結的で傲慢な発想だ。
一人でそれをやって他人を巻き込んでいないうちには勝手にやってろという感じで問題ないと思うが、自分の尺度でしかものを見積もれてないのを自覚して、自分の中では恥ずかしいなと思った。
 
 
外に出る。
日差しは眩しく、少し暑いくらいだった。時計を見ると、太陽はもう真南を過ぎているようだった。
11月も折り返しなのに燦々とした陽光は、紅葉に染まる木々をよく映えさせた。
センチメンタルだとバカにされてもいいが、モノクロになりかけていた感情が、秋の彩りに絆されていく感じが確かにした。
 
マスクを外して一度大きな深呼吸をしてから、僕はこの地を後にした。
 

広島を歩く〜②駅から原爆ドームまで

 
改札を出て原爆ドームまでの行き方を調べようと携帯を手にかけるが、思い直してポケットにしまう。
 
旅行、をしに来ているのだ。
しかも、1人だ。
 
決められた予定なんて何もない。
焦る必要なんかまったくないし、いきあたりばったりで全然良い。
街中の地図だけで辿り着こう。そう誓った。
 
駅を出るとすぐ、広島電鉄が見えた。
路面電車!そのことを思い出してワクワクしてしまう。
でも、江ノ島でも鹿児島でも路電は乗ったことあるし、ドイツやポーランドだって当たり前のようにトラムがあった。
逸る気持ちを抑えて、取り敢えずここでは歩いていく。
 
信号で待つ。
1分ほどのんびり立ってると、青に変わる。
歩き出すと同時に、ちょっとずれた位置に歩道橋があるのが見える。
僕は歩みかけた足をわざわざ止めて、歩道橋に向かう。
ちょっと高いところから先を見たかった。
 
歩道橋を登りながら、駅方向を改めて見ると名前も知らない学習塾が多いことに気がつく
その中に三幸学園があった。

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三幸学園。仙台にもあったし大都市への旅のたびに見かける気がする)
 
 
あまり人には言ったことはないけど、三幸学園は、僕が就職活動で面接を受けた企業の1つだ。
全国であらゆるジャンルの専門学校を運営していて、多くの場合、社員はその専門学校のクラスの担任になる。
ここが、面白いところだと思っていて、教職を持ってない人でも学校の先生になれるのだ(授業は勿論受け持たないが)。
 
そして、先生達が自分の所属する専門学校の生徒募集といった広報から在校生のインターン先の斡旋などまで、なんでもやる。
勿論、大変な仕事ではあるけど、授業を受け持ってないからこそできる一人一人の生徒との向かい合い方がここにはあって、教育とビジネスの2つに興味のあった僕にとって非常に魅力的に思えた。
 
実はNPO法人カタリバ時代の友人・後輩がここに就職しているのだが、その人たちは本当に僕が心の底から尊敬している人たちだ。少しだけ紹介したい。
 
W同期は、人から好かれる天才だ。人一倍大変なことを経験したのに震え縮こまっていた自分の殻を破った。マイナスすべてをプラスに力づくで変換する心の強さと実行力がある。
 
I後輩は、人と向き合うということにひたすら真摯で、僕は絶対敵わないと思ってしまう。この人の前にいると褒められたいし認められたくなる、つまり頑張ろうと思ってしまう。そんな気力を人に与える。
 
K後輩は、いつも笑っている。お調子者なのに周りへの気配りを人一倍していて、すっごく周りが見えているんだなと思う。そして人を絶対に貶さない。一緒にいるとどうしても笑顔になってしまう。
 
そんな人たちが就職している三幸学園がすごくないわけがないんだよな、と常々思ってる。
三幸学園の経営理念は「生徒の幸せ、社会の幸せ、学園の幸せ」、だから三幸らしい。(https://www.sanko.ac.jp/about/principle/)
 
幸せをビジネスの場に持ち込むと胡散臭いみたいな見方も世にはあるけど、僕個人としては声高々と幸せを叫ぶ人を積極的に応援していきたい
 
 
てくてく歩いてると、中学校の横を通った。
そこにはポストが置いてあった。
大したことない事務内容から、もしかしたら生徒の恋心まで雑多にこの赤い箱に詰め込まれてるかもしれないなと思うと、可能性の塊だと感じる。
そのまま、シュレディンガーの猫量子論クリストファーノーラン と連想して、あ、ダークナイトを見ないとと思う。
 
ここでポストの写真を撮り忘れて(厳密にいうと取らなくて良いよなと思って200メートルくらい歩いてうわー撮って置けばよかったと後悔した)、これ以降写真は積極的に撮ろうと考える。
 
 
広島合同庁舎を見ると、岐阜県庁によく似ていて、当たり前だけどどこも一緒のように見える。
でもフォルムは好きだからそのままであってほしい。

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(広島合同庁舎。通っていた大学の校舎にも似ていて親近感)
 
そのまま後ろを振り向くと、KUMONが見えた。
自分の人生に影響を与えたN後輩とその化物じみたへこたれなさを思い出して温かい気持ちになる。
N後輩みたいな、幸せをゼロから生み出して躊躇なく隣人に分け与えられる人が世の中にもっと増えれば、世界は明るくなるのに。
子どもができたらKUMONに入れるのも良いかもしれない。

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(KUMONって探すとどこにでもあるなと思う)
 
RCCテレビもあった。TBS系列のこの地方のテレビ局だ。
メディア界隈ではラジオとテレビを両方やってるテレビ局をラテ兼営というがここもそうらしい。
見るからにテレビ局!という外観も良い。
もしかしたらまた来るなんてことがあるかもしれない。じっと目に焼き付けた。

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RCCテレビ。パラボラアンテナがかっこいい)
 
ここまで来て目的地からだいぶ道がそれてることに気づく。ゆったりした心で方向修正をする。
広島城の濠が松本城みたいだなと思ったり、地下通路への入り口で鵠沼海岸を思い浮かべたり、あらゆる風景が自分の歩んできた人生に重なる。

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広島城のお濠。ジョジョ立ちみたいになってしまった。)
 

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(地下通路への入り口。鵠沼の青春が一瞬でフラッシュバックする)
 
 
そろそろ近いはずなのに一向にその姿が見えてこない。
おかしいなと思いつつも合ってると信じて歩く。
挙げ句の果てにこども科学館のプラネタリウムがそれなんじゃないかと思ってしまったりもした。

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(奥にあるのが子ども科学館のプラネタリウム。ドームっぽいよね…?)
 
 
いや、そんなわけないよなと思って少し歩く。
そして横に目を向けた先に、あった。
途端、何故だか緊張に包まれる。
僕はイヤホンを外した。
「遠い呼び声」は聴こえなくなった。

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