微睡みに漂う言葉

思ったり、考えたり、気付いたり、そんなことを綴っていきます。

広島を歩く〜③原爆ドームと平和記念資料館

 
原爆ドームは耐震工事中だった。
 
鉄骨に囲まれた姿は、まさに治療中といったイメージを受けた。
壁についたシミやレンガの剥がれ方が生々しかったけど、正直なことを言うと、想像していたような衝撃は自分の中に訪れなかった。

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(近くから見た原爆ドーム。破損の仕方は痛ましい)
 
 
そのまま囲むようにくるりと回る。
反対側の案内板には高齢の女性が立っていた。
「無料で説明する」といった類のフリップを持っていて、せっかくだからお聞きしたいとお願いする。
 
そうしたら女性は観光で来ていた周辺の数名にもこれから10分ほど説明しますので、良かったら聞いていってほしいといったニュアンスのことを言った
彼女の周りには僕を含め5名ほどが集まった。
 
 
聞いてよかった。そう、心から思う。
彼女の言葉には、とても、説得力があった。
話しとしては、なぜ広島に原爆が落とされたのかから始まり、落とされるときの米軍の動き、そして落とされてからの日本の現状を主としていた。
戦時中軍事基地があったからこそ被害があったとき国民の絶望が大きい点や、これまでも戦争の被害を受けていない広島だからこそ原爆の威力を正確に測定できるという面に、非人道的な行いですら実験に落とし込む米軍の賢朗さが垣間見えた
1番印象的だったのは今僕が立っているこの地面の下にも当時の死者が眠っているかもしれないということだった。
そこ迄の想像はできていなかったから、聞いたときにはかなり衝撃だった。
 
 
女性の話はなんやかんや30分ほどあったと思う。
彼女の周りにはいつの間にか20人を超える人が集まっていた。
それだけの人が関心があるのだと少しだけ驚いた。
 
僕はできるだけ正確に女性の意を汲み取ろうと真剣に聞いていた。
ただ、途中から目眩を覚えてその場に腰を下ろした。
これが単に3時間睡眠の弊害か、話を聞いたことによる衝撃なのかは自分でも判断が出来なかった。
ただ、呼吸がいつもより少し難しいと感じていたから後者の影響も少なからずあったのではないかと思う。
 
女性の話の内容も印象的だったが、話し方も記憶に残る。
なんていったって明るく、話されるのだ。潤んだ目だって前のめりに見える。
それは額面通りにはどうしたって受け取れない。
彼女の話し方は逆説的に当時の悲惨さを助長していた。
僕はこんな説明の仕方があるのかと畏怖を覚えた。
 
話を聞いたあと、女性に今日話を聞けて良かったと感謝を述べた。
そして去ろうとしたとき、彼女は「折角ここまで来たのに最近は写真だけ撮ってサッと帰る人が増えている。それはなんというか勿体無い」というニュアンスのことを言った。
 
きっとそうだと思う。
写真を撮れば満足する、なんてことは今の世の中ありふれている。その場の記憶を留める手段を五感ではなく機械に委ねるのは便利な世の中ゆえだ。
情報が奔流する中では、自身の心に刻むよりも、風景を切り取る方が見返せるし消費期限は長くなるから、それが必ずしも悪いとは思わない。
 
けど、僕は彼女のその言葉を聞いてしまったから改めて原爆ドームを見た
重いな、と感じた。強く。
 

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原爆ドームと説明をしてくれた女性。説明後、平和を求める署名活動も控えめにお願いしていて人柄の良さが表れるようだった)
 
 
それから僕は周辺を回った。
 
まず行ったのは国立広島原爆死没者追悼平和祈念館だ。
この施設は、戦争や原爆の説明よりむしろ、死没者の情報収集と提供を主としている。
スクリーンに原爆で死没された100名以上の方の名前と写真が表示され、数秒で別の亡くなった方に入れ替わっていたのだが、「一巡するのに2時間ほどかかります」と記載があって改めて多くの方の命が失われたことを感じた。
 
そのまま、原爆供養塔、原爆の子の像、平和の灯、原爆死没者慰霊碑など近くのところを見て回った。
そのそれぞれについて思うところはあったが、特に印象的だったのは平和の鐘だ。

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(平和の鐘。さきほどから修学旅行に来ていた中高生が不定期に突いて、よく響いていた)
 
これがモデルではないらしいが、『HEIWAの鐘』という合唱曲を思い出す。
先ほどから断片的に突かれていた鐘の音は、どれも心の奥深くに入り込んで何かを訴えかけ揺るがす力があった。
「こぶしを広げて繋ぎゆく 心は1つになれるさ 平和の鐘は君の胸に響くよ」
本当にそのとおりであってほしい、実感を伴ってそう思った。
 
 
平和記念資料館のことも書き記しておきたい。
せっかくだからと、音声ガイドも借りた。
70近い説明が入っていて、うちの半分くらいは吉永小百合さんがナレーションを担当されていてそれがまた胸を打つ。
 
沖縄のひめゆりなどもこれまで行ったことはあったから、どういったものがあるかは予想していたが、だからといって受け止めきれるわけではない。
例えば、衣服。
助かることができなかった子どもの衣服が展示されているが、その生々しさに苦しくなる。
 
もう助からないのに最後に病床でお腹いっぱいお粥を食べ両親にありがとうと述べる児童の話や、放射能で戦後に家庭を狂わせれた話、どれも平和に生きている今、経験することはない。
 
泣きそうになるとき、身体がブルっと震え喉の奥に違和感が生じる。
何度もそんなことを繰り返した。
 
死を身近に想像することで、生を実感する。
それはよくある例だけど光と影みたいなもので、不可分なのだ。
普段は小説を読むことで僕はその経験をするが、本は閉じればいつだってひと呼吸つくことができる。
 
ただ、展示会というのは休めない。それが心に堪える。
見ている時間が長くなるにつれ心の深いところまで自身が沈んでいき、戻れるのか少しだけ不安になる。
 
 
地下ではひっそりと『この世界の片隅に』の展示が行われていた。
じっくり見て、健気に、真摯に、足元を踏みしめて生きることの尊さを学ぶ。
 
『遠い呼び声』を聞いてから原爆ドームに行くのは自己満足的な考え方だったなと振り返る。
その行為は、きっとこんな感じのものがあるだろうと予想をして答え合わせをしにいく自己完結的で傲慢な発想だ。
一人でそれをやって他人を巻き込んでいないうちには勝手にやってろという感じで問題ないと思うが、自分の尺度でしかものを見積もれてないのを自覚して、自分の中では恥ずかしいなと思った。
 
 
外に出る。
日差しは眩しく、少し暑いくらいだった。時計を見ると、太陽はもう真南を過ぎているようだった。
11月も折り返しなのに燦々とした陽光は、紅葉に染まる木々をよく映えさせた。
センチメンタルだとバカにされてもいいが、モノクロになりかけていた感情が、秋の彩りに絆されていく感じが確かにした。
 
マスクを外して一度大きな深呼吸をしてから、僕はこの地を後にした。