微睡みに漂う言葉

思ったり、考えたり、気付いたり、そんなことを綴っていきます。

殺人現場に広がる星空

 

 

テレビ局の記者の仕事をする中で、殺人現場に行く機会があった。

改めて特異なことをしている、させてもらっていると思う。

 

業務上のことなので言えないことも多々あるが、うまく濁しつつ自分の思いなどははっきりと述べて整理したい。

 

 

勤務だったある日曜日のこと。

日々の業務はこなしつつも比較的ゆったりと時を過ごしていた。

 

16時過ぎくらいだろうか、警察からの発表文が会社に届く。

それは暗に殺人事件が起きたことを示唆する内容だった。

 

現場の住所を見る。

県内だが、ここからは90キロ近くも離れていた。

 

「付近に支社の記者がいるから、そいつに現場にすぐ向かってもらう。

 だけど人手が足りないと思うから君も現場にすぐむかってほしい」

 

そう上司に言われ速やかに荷物をまとめる。

フロアがざわつく中、あぁ今日は帰るの遅くなるなぁと冷静な頭でそう思った。

 

 

タクシーに乗りこみ行き先を告げる。

想定し得る最悪の事態は、殺人犯が凶器を持って未だ周辺をうろついていることだ。

 

なんとかそうはあってほしくないと思いながら、

移動中、各所に電話をして事件の温度感を探る。

 

そのなかで自分が把握できたことは、

『アパートの廊下から男性の叫び声が聞こえた。周辺住人の通報などにより、警察が現場に駆け付けたところ、体を刃物様のもので複数個所刺された男性が倒れていて、その後死亡が確認された。また現場にはもう一人手にをけがした男性が倒れこんでいて、警察が確保した』

 

諸々の確認によると、この手にけがをした男性が犯行に及んだと警察は見ているということだ。

つまり、犯人とみられる男は現場に倒れていてもう確保されている。

 

それを聞いて一安心する。

自分が向かう見知らぬ場所に、刃物を持った男が逃げ回っているなんていったらあまりにも危険すぎる。

どうか事件が、あまり複雑なものでありませんようにと祈りながら向かう。

 

 

午後6時過ぎ、到着。

現場には規制線が引かれていた。

 

 

規制線は、一般的に火事や事件などがあった場合引かれるもので、要は通行止めだ。

現場保存をして警察が調べるためには必要な措置だ。

しかし、そうされると住人以外は中に立ち入れなくなり、当然記者も中に入ることはできない。

 

 

 

現場のアパートは規制線から50メートル以上先だったが、ちょうど畑が目の前にあったから規制線の外側からでも、おそらく犯行が行われたであろう部分がブルーシートで覆われているのがよく見えた。

 

規制線の外側に目を向けると、既に複数社のカメラマンや記者がいてその中に先輩記者の姿を見留める。

遠くまでご苦労さんなんて労われる暇もなく引継ぎを受けると、先輩は警察署に話を聞きに行くと去っていった。

 

さて、と。

規制線が解除されたら、内側の区域の住人に速やかに話を聞きにいかないといけない。

線が解けるのを待つしかないなぁとぼんやり考えながらも、まぁやるべきことはしないとなと、可能な範囲で動いて取材を始める。

 

 

僕はこの聞き込みという仕事がとてつもなく苦手だ。

いきなり見ず知らずの人がインターフォンを押してきて、話を聞かせてくださいなんて、僕が答える方だったら嫌だ。

気持ちはげんなりしながらも、ピンポンを鳴らし続ける。

だからこそ誠実に真摯に向き合うことを自分に課していて、気の張る仕事でもある。

 

優秀な先輩から先ほど周辺の聞き込みを既にだいたい終えてしまったと引継ぎを受けていたので、さっき話が聞けなかったという家を重点に攻める。

しかし、そもそも家にいないか、聞いても「警察が来てから知った」といった内容ばかりで空振り。

 

んーどうしようかなぁ諦めようかなぁと思ったら、携帯が鳴った。

「さっき他局のニュースで、目撃者のインタビューがあったからその人を探してうちも映像つかいたい。探すのよろしく!」

 

「はい!」

 

と、声ばかりは元気よく返事して通話を終えると、ため息をつく。

 

いやぁ、これ見つかるのか目撃者…?あらかた探したけどなぁ。

しかも、うちの次のオンエア時間帯まで2時間を切っているから、データ転送とか諸々逆算するとあと1時間くらいがタイムリミットだ。

 

どうしよう~と思いながら歩いていると目の前でハイヤーが止まり、中から同年代の女性が出て来た。

その姿をよく見ると、他新聞社の同期記者Nだった。

 

久々に会った嬉しさもあるが、顔を見合わせると、お互いに困り笑いをしてしまった。

 

仕事をする中で分かったことだが、こういった事件取材を楽しめてやれている記者はほぼいない。

だから、現場に駆け付けた記者同士で「お前も災難だなぁ…」といった共同意識みたいなのが生まれる。

 

労い合いながらN記者に聞くとあちらも、さっきのインタビューの人を探しているらしい。

もちろん仕事としては競合他社になるわけで馴れ合ったりするのは良くない。

とは言いながらも、こっそりと現場で助け合ったりすることは多々ある。

 

気持ちが切れかけていた僕たちは 、共同戦線を組むことにして再び取材を始めた。

 

すると、運が良いというのか、あっけなく探していた人が見つかった。

こういったラッキーがあるからこの仕事というのは結局粘りと運なんだよなぁと思う。

 

デジカメを構えながら、事件のディティールを伺う。

生の現場を見た人特有の具体的な描写に、驚きながら取材を終える。

N記者と別れ、社に情報を共有して、なんとかニュースに素材を間に合わせることに成功した。

 

あれ、もしかしてこれで、案外今日は帰れるのでは?と思って上司に確認の電話を入れる。

 

「ごめん!規制線が解除されるかもしれないから、もう少しその場で待っていてほしい!」

 

まあ…そんな予感はしていた。

だけど、本当に手持ち無沙汰になってしまった。

そのまま1時間程ぼうっとする。

 

あたりは田舎だからか結構な暗さ。

耳を澄ませると近くの田んぼからカエルの大合唱。

んーどうしようと空を見上げた。

すると、雲一つない空に多くの星が見えた。

なんだかワクワクした。

 

息抜きしないとやってられっかと、グーグルプレイストアで星空アプリをインストールして、携帯を星空に掲げながら、暗がりの道を歩く。

 

すると、別の場所にいたN記者とまた会った。

星空アプリを入れた話をしたら、えー面白そうとN記者もインストールをしてくれた。

やはり同期は、良いなと思った。

 

規制線の解除を待ちながら、2人で暗い夜道を歩き星空を眺めた。

ついさっき人が死んだ現場で規制線の解除を待つという異常なシチュエーションを除けば、ロマンティックなことをしていた。

現実逃避的に見上げる星空はやけに綺麗で、仕事中に何してるんだろうと思わないでもなかった。でも、まぁ楽しかったから、いいかなと思った。

 

ほどなくして規制線が外れる見込みもなさそうということで、帰宅の指示が出た。

N記者ももう帰れる指示が来たということで、お互いに今日一番の笑顔を浮かべ颯爽と場を後にする。

23時前に家につき、思ってたより早く帰れてラッキーだなと思いながらコンビニ弁当を食べる。

あぁ感覚バグってきたなぁとこの日、強く思った。

 

 

 

その翌々日。

6時前に家を出て警察署に寄った後、再び現場を訪れた。

 

実は前日、近隣住民が撮影した犯行の瞬間の映像を他局がオンエアしていて、それを探してもらってこいという指示が出ていた。

 

そんなのできるのかよと思いながら現場を見渡すと、動画内に映りこんでいた木の角度とかから、とある家のベランダが撮影場所だと浮上した。

該当の家の前には、既に他2局の記者がいた。

皆、上司から動画を取ってこいと言われたらしい。

 

件の家にインターホンを押す。

返事がない。

周辺取材を進めると、この家の人はあと5時間近く待たないと家を出てこないらしいことが分かった。

 

現場の規制線はもう完璧に解除されていた。

だから、一度現場をこの目で見てみようかなとアパートに向かった。

 

遠くからはシミがあるなくらいしか思わなかったが、目の前まで来てびっくりした。

 

薄汚れた赤色が何メートルにも渡ってこびりついていた。

血だまりがあったであろう場所を見つめ、あぁここで人が死んだんだなと実感した。

 

出血しながら通り過ぎたとみられるところには血痕が残り、壁にも手で触れたんだなと分かった。

乾ききって固まっているはずの血痕の周辺を幾匹のハエが群がっていた。

 

一番ショックだったのは、自分がショックを受けていないということだった。

 

単純に、あ、殺人現場だなと思っただけだった。

悲惨さに胸を痛めたり、不安感に苛まれたり、捉えようのない怒りだったり、そういう感情は一切なかった。

 

この仕事をする前ならどう思っていたんだろうな、と不可逆的な時間への問いかけだけが残った。

 

 

その後、件の家を張り込んでみた。

他局の記者と雑談をして、日々の仕事やスクープ記事のあれこれについて話をした。

 

 

結局、その日は動画をもらうことはできなくて、郵便受けに名刺を入れておいた。

すると翌日の朝5時半くらいに電話をかけてくださって、動画をいただけることになった。

 

今回の取材に関しては、他社を追い抜くことはできなかったが、追いつくことはできた。

厳しくない見方をすれば及第点は与えられるくらいの役割をした。

 

 

 

ここまで読んでくれた人には、これが、記者の仕事なんだよ、そして、記者の仕事をしているのも人なんだよというのを知ってほしかった。

 

 

自分自身、記者の仕事をしたいとは昔は到底思っていなかったし、なって考えることはたくさんある。

話を聞きながら泣きそうになるのを耐えたことだってある。

一方で悲惨さに順化して、感情がなくなることへの恐怖がある。

何かずっと悪いことをしているんじゃないかという後ろめたさがある。

 

人への思いやりがなくなりズケズケと踏み込んでくる記者も世の中にはいる。

ただ、少なくとも僕が仕事をして出会った記者は真摯な人が非常に多い。もしくは、そうありたいと葛藤しているようにみえる。

 

 

もし、今後記者に会うことがあったら優しくしてあげてほしいなと思う。

どうしても人の負に向き合う機会が多い仕事だから。

人の負をさらに向けられると、だんだんと人への諦観が増えていく。

それが心無い記者を生み出しているのかもしれないなとも思う。

 

 取材対象者が優しいとかなり救われるので。どうか。