おいでよ、ボードゲーム沼! ~未経験者のあなたにこそ、是非~
「ボードゲームが趣味です。」
と、自己紹介でよく話す。
すると、多くの人から
「最近流行ってますよね、でも私は人生ゲームくらいしかやったことなくて…」
と言われる。
こんなとき、折角なら、と声を大にして言いたいのが、
「なんでも良いから、有名で面白いといわれているボードゲームを3種類くらい試しにやってみて!!!!!」
ということだ。
理由を説明…の前にボドゲってなんぞやというところから少し話させていただきい。
そもそもボードゲームというからには、将棋やチェスやモノポリーみたいに盤があるんでしょうとよくおもわれがちだが、その限りでない。
カードやコマを使ったりするだけのものも多々ある。
例えば、僕の家にはいま30種類近いボードゲームがあるが、実際に皆が想像するようなボードを使うようなものは半分くらいだ。
そのどれもが(当たり前だけど)独自のルールで最適化された世界へあなたを誘う。
本当はその一つ一つを実践しながら面白さを伝えたいところだけど、今回は個人的な見解に基づいた概論を述べるに留めることとする。
ボードゲームの魅力は、
『世界観』『連帯感』『その人らしさ』
に集約される(と個人的に考えている)。
まず、『世界観』だが、これがゲームの根幹を示すといっても過言ではない。
あるときプレイヤーは、開拓者として村を発展させたり、殺人事件現場の探偵として犯人を突き止めたり、商人としてオークションに参加したり、怪獣の脅威から国を守る政府の一員として立ち回ることとなる。
一方、上記のようなワクワクする王道とは外れて、実際にその場にいる人に片想いを演じたり、自分の脳の副人格に支配されたり、ブラックな職場でパンを作ったり、ボディビル大会のマッチョな出場者にキレッキレの声掛けをするなんてシチュエーションもある。
そのどれもに共通することが、仮想世界の中で、決められたルールのもと、時には仲間と協力し合い、時にはだましあいながら、勝利をつかむ努力をするということだ。
これが凝った設定であればあるほど面白くて、キャラを演じながらセリフをしゃべってみたり、まるで普段の自分とは違ったような気持ちになったりすることもある。
読書や映画が好きな人は、この、非日常への手軽なトリップ、ということの素晴らしさをよく知っていると思うので、かなり楽しめるはずだ。
○○になってみたいあなた、の夢を叶える非常に優れた代物なのだ。
次に、伝えたいのは『連帯感』だ。
僕は割とはじめましての人と一緒にボードゲームをすることも多々あるのだけど、終った後ビックリするくらい仲良くなる。
厳密にいうと、歴戦を共にしたかのような不思議な連帯感が芽生える。
そもそも、ボードゲームの基本設計として、勝ち負けもそうだが、誰もが楽しめるように作られている。
時には仲間として、時には敵として。
参加者は互いにリスペクトしあいながら展開を進めていく。
そのなかで面白いなと思うのは、やっぱり、どうしてもゲームだから運の要素もある程度の比重を占めるところだ。
まじか!と歓声を上げながら参加者同士で思わずハイタッチしてしまったり、うそだろ!と大爆笑しながら負けを認めるような展開もざらにある。
そんなわけで(ものによるが)、結局頭が良いからと言って勝てるわけでもないから、誰でもが楽しめるし、その感情の振れ幅をオンタイムで共有できる。
会って2時間も経たずに、繋がったようにいられるのは、感情のジェットコースターを一緒に乗って、笑顔で帰ってくるからなのだと思う。
最後に、ボードゲームは『その人らしさ』を明らかにする。
展開が進むにつれて、あなたは必ず何かを迫られる。
そのときどきのシチュエーションであなたはここぞと見極めて勝負をしかけたり、または負けないための戦法に切り替えたりするだろう。
そのようなことを繰り返していると、他人と比べた自分の性格というのが浮き彫りになってくる。
また、ゲームだからということで普段の自分と違う挑戦をしてみたりもする、そのことによりまた自分にはこういった戦い方は合う合わないを知ることになる。
僕自身の経験で言うと、現実世界の悩み事をすっかり忘れてプレイしていたつもりが、プレイヤーになりきってゲームを進める中で、そうか自分はやっぱこういう性格だよなと改めて気付いて、悩みの根本的な解決に至ったことがある。
ボドゲを通して、自分を知る。
そして、今日、ボドゲ楽しかったな、という思いが明日からの活力になる。
人の悪口で盛り上がる飲み会や、無尽蔵にお酒を飲みながら同じ会話を繰り返す飲み会で夜のひとときを過ごしたって良い。
ただ、「たまにはボードゲームするか」が選択肢に入ってくる人生というのは劇的に輝くものになると思っている。
『世界観』『連帯感』『その人らしさ』
熱く語ってきたが、ボドゲに少しでも興味を持ったら是非やってみていただきたい。
きっと、まだ見ぬ新たな世界で素敵な仲間と出会い、自分をもっと知ることができるはずだ。
ここまでお付き合いしてくださった方、ありがとうございます。
抽象的過ぎてなんじゃほらと思った方々に向けて、以下、最近のオススメを3つほど紹介します。
①シャーロックホームズの追悼
これはホームズの、公開されなかった物語。
プロローグ | シャーロック・ホームズの追悼 | ESCALOGUE
ボードゲームを紹介すると言っておきながら、初手から謎解きゲームを紹介するという。
謎解き、と聞くと専用の施設に行って遊ぶイメージなどもあるもしれないが、これはこのキットさえあれば自宅で出来る仕様となっている。
結論から先に言うと、僕がこれまでに体験した謎解きで、ストーリー・興奮度・感動度すべてにおいてダントツの1位だ。
僕の大好きな小説家である河野裕が脚本部分を担っている小説型の謎解きで、プレイヤーはLINEを駆使しながら物語を進める。
本当に最高だった…。
ここまでクオリティの高い謎はもう出会えないんじゃないかという出来…。
願うことならもう一度記憶を消してやり直してあの時の興奮を味わいたい…。
プレイ後アンケートの満足度は驚異の99%。
低くつけた人も、普段とは違う小説テイストの謎解きが慣れなかったというだけの理由。
謎解き初めての人でもヒントを見ながら進められたり、難易度の調整も神がかっているので、悩んだら絶っっっ対に買っていただきたい。
本当に面白いし、僕は感動し過ぎて後半指が震えました。笑
このクオリティでこの値段は、プレイ後に罪悪感でいっぱいになるくらい安いです。
②スカルキング・レジェンド
最近やったトリックテイキングで一番好きなゲーム。
トリックテイキングとはボードゲームのジャンルみたいなもので、「全員が場に1枚ずつカードを出して、勝者が決定する(これを1トリックという)のを何回も繰り返して最終的に勝ち数が多い人が優勝となる」という感じのものを指す。
ルールを詳しく書くと大変なことになるので他人の説明を勝手に拝借↓
ざっくりいうと、強さの違うカードを出し合って、自分が何トリック勝つことができるのかを予想し、合っていたらポイントが加算されるというゲーム。
10回戦までやった総合ポイントで最終的な勝敗は決まるが、1回戦は1トリック、2回戦は2トリック…と後半になればなるほど、自分が何回勝てるかを予測するのが難しくなる。
手札が強かろうが弱かろうが、結局何回自分が勝てるのか当てないとポイントが手に入らないという運要素少なめな設定も非常に面白い。
絶対に勝てるカードがあったり、こいつには勝てるがこいつには負けるというカードがあったり、全員を強制的に負けにさせるカードがあったりと大番狂わせがよくおこるのでめちゃくちゃ盛り上がる。
皆でヨーホーホー(ゲームを始めるときの掛け声)言うとテンションが上がります。
③まじかる☆ベーカリー〜わたしが店長っ!
問題作。表紙詐欺の代表例的ボードゲーム。
プレイヤーはそれぞれがパン屋を開業し、ほかのプレイヤーよりも多くの売り上げを上げたら勝ちな経営シミュレーションゲーム。
ただ、売り上げを高める方法がえぐい。
バイトを圧迫面接で雇ったり、金庫を破ったり、他プレイヤーのオーブンを奪い取ったり、魔法をつかってありとあらゆる邪魔をする。非道極まりない。
「力さえあれば人も金も奪えるよねっ☆」という感じのボードゲームなので、絵柄に騙されないようにしましょう。
以上!ボードゲームやりたい人はぜひ声かけてくださいー!一緒にやりましょー!
手相に憧れた日の話
大学3年の冬、自分に何もないなと思った。
予定に追われる濃密で楽しい日々がひと段落して。
でも、自分には何もないよなと。
自分がいることの価値って何だろうと。
深夜になりベッドに寝そべりながら、そんなことをふと思った。
こういうモラトリアムと中二病の拗らせみたい悩みが時折突発的に訪れる。
いつもは寝るか、別のことで気を紛らわせるんだけど、この日は何かどうかしなくてはならないという使命感があった。
どうしてこんなことを思ったのか自問自答して深堀りしてみる。
すると、どうやら僕は趣味も特技も人並みであることへのコンプレックスというか、「○○さんといったらこれ!」みたいな特徴がないことへの焦りを感じているみたいだった。
モチベ高いマンだったこの日、ネットサーフィンで何か自分が興じれそうな趣味を探してみることにした。
すると、”手品”という言葉に目を引かれた。
『誰でもできるトランプテクニック』みたいなそんな記事だったと思う。
身体を起こし、部屋の電気をつけ、棚からしばらく使ってなかったトランプを取り出す。
ベッドの上で安坐を組み、自分にも出来る手品を試す。
2,3個やってみたところで、これはいけるかもしれないと思った。
自分は口も回る方だし手品を向いているかもしれない、そんなことを思って今度はコインを使ったものに挑戦してみる。
そして、これがびっくりするほどできなかった。
コインの手品は初心者には難しく、練習する必要があると書いてあったが、もうこれは全然できる道のりが見えなかった。
あらあらと素直に諦めて、電気を消し、ベッドに転がる。
そういえば昔、基礎実験の授業でペアになった人がマジックサークルに入っていた。
そのほかにも(なぜか)割と手品に挑戦する友達が僕の周りには多かった。
いまさら手品を始めたってその人たちに勝てるわけでもないし、自分自身がタネを知ることで手品を純粋に楽しめなくのも嫌だなぁと思って手を引くことにした。
でも、これで自分が何に興味があるのかちょっと分かった気がした。
①そもそもできる人が少ない
②大がかりな用意や準備なくできる
③エンターテイメントとして成立している
こんなもの手品以外にあるかなぁと考えたとことで、すっと思いついたのが”手相”だった。
いや、正確に言うと、Tのことを思い出した。
Tは、僕が当時所属していた教育系NPO団体カタリバで出来た手相のできる友人だ。東大の院生で、僕の人生の中でもあまり出会ったことがない、常識人っぽいのにぶっ飛んでいるヤバいやつだ。
「その分野を知るには最高級と一番下を体験するのが一番手っ取り早い」と言って、10万近い吉原の高級ソープに行ったかと思えば、3000円くらいで出来るらしいおばあさんが個人で経営している危ない風俗店に行く。
彼女と付き合っているなかで、毎月何かしらのテーマを決める。
ある月は『キス強化月間』なるものを策定し、世界中の論文を読み漁ったうえ、自身らもありとあらゆる方法を実践。その後、趣味で論文にまとめる。
(当時医療系の学校で実習中だったTの彼女は、キス病という連日高熱が続いて下がらないという結構笑えない病気にかかり留年が決まったらしい)
そんなことをする人だ。
Tとは、カタリバの企画でともに副代表を務めたことがあった。
含蓄のある言葉をよく投げかけてきてはドキッとさせられていた。
例えば…
「相手に思いを伝えようとしても、その過程で必ず総量は減ってしまう。だから相手に自身の100%の気持ちを届けたいなら、自分は120%の気持ちで話さないといけない」
というセリフを自分の信念のもとにしっかりと言える人なのだ。
(これを聞いたときから、僕はTのファンになった)
そんな彼の生きざまが好きで僕は定期的にTと話す。
いつ会ってもその前と違うことをやっていてビックリするし、挑戦心を分けてもらっている。
僕はTに手相を見てもらったことがなかったのだが、一度だけ彼がほかの人の手相を見ている現場に一緒にいたことがあった。
都内の高校生5人とグループで話すというカタリバの企画。
どんな雰囲気のアイスブレイクが良いかについて話しているときに、Tが普段は俺は手相で盛り上がるよと実践してくれた。
僕たちは生徒役になりきり、Tがリーダーとして場を回した。
「いや実は俺、手相見れるんだよね。君の見てもいい?」と話し、隣にいた人の手を見ると「いや、これはすごいわ、才能の塊だな君は」と続けた。
その後、Tはアイスをブレイクするどころか粉々にする勢いで場を盛り上げた。
手相の知識もそうだけど、それを相手に伝える話術も大事なんだなと感じた。
やっぱTってすごいなと思った。
そんなTを思い出して手相のことを考えているうちに、あ、これはめちゃくちゃいいかもしれないと思うようになった。
1つ目の理由としては、占いというものの面白さだ。
当時僕は、認知科学系の研究室に在籍していて、ヒトの研究をしていた。
運動データを統計的に解析して、結果から考察する。
そんな科学的で大変な手間をかけてヒトを知ろうとしていた。
一方で占いは、ただ手を見たり、生まれた日が分かるだけで、あなたのこと分かっちゃいますよ、ってなんて無責任なんだと思った。
でも、無責任なくせに、それで多くの人の行動が変わるのだからすごい。
”今日はふたご座が1位だったから、勇気をもって好きな人に話しかけよう”
そんな風にでさえ人の背中を押せてしまう占いのすごさを内側から見てみたくなった。
2つ目の理由は単純に不純な動機で。
あのー…。手が好きなんです。
手フェチとも言います。
人が掴んできたもの、手放してきたもの、すべての歴史が手には詰まっている。
手に触れるというのは、その人の人生の一端を見るということになるんだなぁと。
だから、手が好きなのです。
そんなことを思ったりして、手相を始める決心をした。
確か翌日には、ネットで調べて一番よさげな手相本を購入した。
頭が狂っているときの行動力は自分の好きなところでもある。
そこから紆余曲折あり、24歳の秋に、日本手相能力検定1級を取った。プチ自慢です。
実際に勉強してみて、多くの人の手を見てきて、どう思うようになったか。
また、書きます。
殺人現場に広がる星空
テレビ局の記者の仕事をする中で、殺人現場に行く機会があった。
改めて特異なことをしている、させてもらっていると思う。
業務上のことなので言えないことも多々あるが、うまく濁しつつ自分の思いなどははっきりと述べて整理したい。
勤務だったある日曜日のこと。
日々の業務はこなしつつも比較的ゆったりと時を過ごしていた。
16時過ぎくらいだろうか、警察からの発表文が会社に届く。
それは暗に殺人事件が起きたことを示唆する内容だった。
現場の住所を見る。
県内だが、ここからは90キロ近くも離れていた。
「付近に支社の記者がいるから、そいつに現場にすぐ向かってもらう。
だけど人手が足りないと思うから君も現場にすぐむかってほしい」
そう上司に言われ速やかに荷物をまとめる。
フロアがざわつく中、あぁ今日は帰るの遅くなるなぁと冷静な頭でそう思った。
タクシーに乗りこみ行き先を告げる。
想定し得る最悪の事態は、殺人犯が凶器を持って未だ周辺をうろついていることだ。
なんとかそうはあってほしくないと思いながら、
移動中、各所に電話をして事件の温度感を探る。
そのなかで自分が把握できたことは、
『アパートの廊下から男性の叫び声が聞こえた。周辺住人の通報などにより、警察が現場に駆け付けたところ、体を刃物様のもので複数個所刺された男性が倒れていて、その後死亡が確認された。また現場にはもう一人手にをけがした男性が倒れこんでいて、警察が確保した』
諸々の確認によると、この手にけがをした男性が犯行に及んだと警察は見ているということだ。
つまり、犯人とみられる男は現場に倒れていてもう確保されている。
それを聞いて一安心する。
自分が向かう見知らぬ場所に、刃物を持った男が逃げ回っているなんていったらあまりにも危険すぎる。
どうか事件が、あまり複雑なものでありませんようにと祈りながら向かう。
午後6時過ぎ、到着。
現場には規制線が引かれていた。
規制線は、一般的に火事や事件などがあった場合引かれるもので、要は通行止めだ。
現場保存をして警察が調べるためには必要な措置だ。
しかし、そうされると住人以外は中に立ち入れなくなり、当然記者も中に入ることはできない。
現場のアパートは規制線から50メートル以上先だったが、ちょうど畑が目の前にあったから規制線の外側からでも、おそらく犯行が行われたであろう部分がブルーシートで覆われているのがよく見えた。
規制線の外側に目を向けると、既に複数社のカメラマンや記者がいてその中に先輩記者の姿を見留める。
遠くまでご苦労さんなんて労われる暇もなく引継ぎを受けると、先輩は警察署に話を聞きに行くと去っていった。
さて、と。
規制線が解除されたら、内側の区域の住人に速やかに話を聞きにいかないといけない。
線が解けるのを待つしかないなぁとぼんやり考えながらも、まぁやるべきことはしないとなと、可能な範囲で動いて取材を始める。
僕はこの聞き込みという仕事がとてつもなく苦手だ。
いきなり見ず知らずの人がインターフォンを押してきて、話を聞かせてくださいなんて、僕が答える方だったら嫌だ。
気持ちはげんなりしながらも、ピンポンを鳴らし続ける。
だからこそ誠実に真摯に向き合うことを自分に課していて、気の張る仕事でもある。
優秀な先輩から先ほど周辺の聞き込みを既にだいたい終えてしまったと引継ぎを受けていたので、さっき話が聞けなかったという家を重点に攻める。
しかし、そもそも家にいないか、聞いても「警察が来てから知った」といった内容ばかりで空振り。
んーどうしようかなぁ諦めようかなぁと思ったら、携帯が鳴った。
「さっき他局のニュースで、目撃者のインタビューがあったからその人を探してうちも映像つかいたい。探すのよろしく!」
「はい!」
と、声ばかりは元気よく返事して通話を終えると、ため息をつく。
いやぁ、これ見つかるのか目撃者…?あらかた探したけどなぁ。
しかも、うちの次のオンエア時間帯まで2時間を切っているから、データ転送とか諸々逆算するとあと1時間くらいがタイムリミットだ。
どうしよう~と思いながら歩いていると目の前でハイヤーが止まり、中から同年代の女性が出て来た。
その姿をよく見ると、他新聞社の同期記者Nだった。
久々に会った嬉しさもあるが、顔を見合わせると、お互いに困り笑いをしてしまった。
仕事をする中で分かったことだが、こういった事件取材を楽しめてやれている記者はほぼいない。
だから、現場に駆け付けた記者同士で「お前も災難だなぁ…」といった共同意識みたいなのが生まれる。
労い合いながらN記者に聞くとあちらも、さっきのインタビューの人を探しているらしい。
もちろん仕事としては競合他社になるわけで馴れ合ったりするのは良くない。
とは言いながらも、こっそりと現場で助け合ったりすることは多々ある。
気持ちが切れかけていた僕たちは 、共同戦線を組むことにして再び取材を始めた。
すると、運が良いというのか、あっけなく探していた人が見つかった。
こういったラッキーがあるからこの仕事というのは結局粘りと運なんだよなぁと思う。
デジカメを構えながら、事件のディティールを伺う。
生の現場を見た人特有の具体的な描写に、驚きながら取材を終える。
N記者と別れ、社に情報を共有して、なんとかニュースに素材を間に合わせることに成功した。
あれ、もしかしてこれで、案外今日は帰れるのでは?と思って上司に確認の電話を入れる。
「ごめん!規制線が解除されるかもしれないから、もう少しその場で待っていてほしい!」
まあ…そんな予感はしていた。
だけど、本当に手持ち無沙汰になってしまった。
そのまま1時間程ぼうっとする。
あたりは田舎だからか結構な暗さ。
耳を澄ませると近くの田んぼからカエルの大合唱。
んーどうしようと空を見上げた。
すると、雲一つない空に多くの星が見えた。
なんだかワクワクした。
息抜きしないとやってられっかと、グーグルプレイストアで星空アプリをインストールして、携帯を星空に掲げながら、暗がりの道を歩く。
すると、別の場所にいたN記者とまた会った。
星空アプリを入れた話をしたら、えー面白そうとN記者もインストールをしてくれた。
やはり同期は、良いなと思った。
規制線の解除を待ちながら、2人で暗い夜道を歩き星空を眺めた。
ついさっき人が死んだ現場で規制線の解除を待つという異常なシチュエーションを除けば、ロマンティックなことをしていた。
現実逃避的に見上げる星空はやけに綺麗で、仕事中に何してるんだろうと思わないでもなかった。でも、まぁ楽しかったから、いいかなと思った。
ほどなくして規制線が外れる見込みもなさそうということで、帰宅の指示が出た。
N記者ももう帰れる指示が来たということで、お互いに今日一番の笑顔を浮かべ颯爽と場を後にする。
23時前に家につき、思ってたより早く帰れてラッキーだなと思いながらコンビニ弁当を食べる。
あぁ感覚バグってきたなぁとこの日、強く思った。
その翌々日。
6時前に家を出て警察署に寄った後、再び現場を訪れた。
実は前日、近隣住民が撮影した犯行の瞬間の映像を他局がオンエアしていて、それを探してもらってこいという指示が出ていた。
そんなのできるのかよと思いながら現場を見渡すと、動画内に映りこんでいた木の角度とかから、とある家のベランダが撮影場所だと浮上した。
該当の家の前には、既に他2局の記者がいた。
皆、上司から動画を取ってこいと言われたらしい。
件の家にインターホンを押す。
返事がない。
周辺取材を進めると、この家の人はあと5時間近く待たないと家を出てこないらしいことが分かった。
現場の規制線はもう完璧に解除されていた。
だから、一度現場をこの目で見てみようかなとアパートに向かった。
遠くからはシミがあるなくらいしか思わなかったが、目の前まで来てびっくりした。
薄汚れた赤色が何メートルにも渡ってこびりついていた。
血だまりがあったであろう場所を見つめ、あぁここで人が死んだんだなと実感した。
出血しながら通り過ぎたとみられるところには血痕が残り、壁にも手で触れたんだなと分かった。
乾ききって固まっているはずの血痕の周辺を幾匹のハエが群がっていた。
一番ショックだったのは、自分がショックを受けていないということだった。
単純に、あ、殺人現場だなと思っただけだった。
悲惨さに胸を痛めたり、不安感に苛まれたり、捉えようのない怒りだったり、そういう感情は一切なかった。
この仕事をする前ならどう思っていたんだろうな、と不可逆的な時間への問いかけだけが残った。
その後、件の家を張り込んでみた。
他局の記者と雑談をして、日々の仕事やスクープ記事のあれこれについて話をした。
結局、その日は動画をもらうことはできなくて、郵便受けに名刺を入れておいた。
すると翌日の朝5時半くらいに電話をかけてくださって、動画をいただけることになった。
今回の取材に関しては、他社を追い抜くことはできなかったが、追いつくことはできた。
厳しくない見方をすれば及第点は与えられるくらいの役割をした。
ここまで読んでくれた人には、これが、記者の仕事なんだよ、そして、記者の仕事をしているのも人なんだよというのを知ってほしかった。
自分自身、記者の仕事をしたいとは昔は到底思っていなかったし、なって考えることはたくさんある。
話を聞きながら泣きそうになるのを耐えたことだってある。
一方で悲惨さに順化して、感情がなくなることへの恐怖がある。
何かずっと悪いことをしているんじゃないかという後ろめたさがある。
人への思いやりがなくなりズケズケと踏み込んでくる記者も世の中にはいる。
ただ、少なくとも僕が仕事をして出会った記者は真摯な人が非常に多い。もしくは、そうありたいと葛藤しているようにみえる。
もし、今後記者に会うことがあったら優しくしてあげてほしいなと思う。
どうしても人の負に向き合う機会が多い仕事だから。
人の負をさらに向けられると、だんだんと人への諦観が増えていく。
それが心無い記者を生み出しているのかもしれないなとも思う。
取材対象者が優しいとかなり救われるので。どうか。
昨日星を探した言い訳
今回は趣向を変えて、本の紹介を。
僕がここ数年読んだ中で一番好きな小説です。
(2020年8月24日 KADOKAWA)
<https://www.amazon.co.jp/dp/B08F9S7D68/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1>
昨日星を探した言い訳
もともと僕は著者の河野裕さんのファンだ。
ラノベやアニメ好きだったら知ってる方もいるかもしれないが、「サクラダリセット」の著者でもある。
あとは昨年公開された「いなくなれ、群青」という横浜流星・飯豊まりえ主演の実写映画の原作や、今日新刊が出た「さよならの言い方なんて知らない。」も河野さんの作品だ。
どれもあらすじだけでかなーーりワクワクするので是非読んでほしいが、今回は涙を呑んで河野さんの『昨日星を探した言い訳』にフォーカスしたい。
内容に触れる前にまず、この小説が著者にとってどういう存在なのか、インタビュー記事があったのでそちらを貼っておく。
――私にとってベースとなる小説を書こうと思った 『昨日星を探した言い訳』発売直前! 河野裕書面インタビュー | カドブン
全文読んでいただきたいところだが、一部抜粋すると…
河野: 小説を書いて生活するようになってから10年ほど経ったので、そろそろ私にとってベース(基盤)となる小説を書こう、と考えて書き始めました。
心情としては、以前は「小説とは著者のエゴで書くもので、そのエゴを失うくらいならある程度の伝わりづらさは仕方ない」という考えだったのですが、最近になって「あれ? 丁寧に伝えようと努力しても意外とエゴは消えないな」と気づいた、という感じです。
これまで長いあいだ、私の基盤はデビュー作だったのですが、私の意識の中ではそれを更新できたように思います。
質問7 本作をどんな読者に読んでもらいたいですか?
河野:小説というのは、読もうとした全員に開かれているものだと思いますが、強いて言うなら「社会的な正義や倫理に興味がある人」と、「社会的な正義や倫理を語っている誰かの言葉に違和感を覚えたことがある人」です。
という感じで、河野さんが自身の執筆活動の集大成として書ききった特別な思い入れのある作品であることが分かる。
僕は、発売前にこのインタビューを読んでめちゃくちゃワクワクしたのを覚えてる。
だって、好きな作家が本気を出した!ってわざわざ言うほどの内容だ。
そんなの気にならないわけがない。
しかもあらすじに目を通すと、これまた僕の興味をくすぐる絶妙な設定なのだ。
自分の声質へのコンプレックスから寡黙になった坂口孝文は、全寮制の中高一貫校・制道院学園に進学した。中等部2年への進級の際、生まれつき緑色の目を持ち、映画監督の清寺時生を養父にもつ茅森良子が転入してくる。目の色による差別が、表向きにはなくなったこの国で、茅森は総理大臣になり真の平等な社会を創ることを目標にしていた。第一歩として、政財界に人材を輩出する名門・制道院で、生徒会長になることを目指す茅森と坂口は同じ図書委員になる。二人は一日かけて三十キロを歩く学校の伝統行事〈拝望会〉の改革と、坂口が運営する秘密地下組織〈清掃員〉の活動を通じて協力関係を深め、互いに惹かれ合っていく。拝望会当日、坂口は茅森から秘密を打ち明けられる。茅森が制道院に転入して図書委員になったのは、昔一度だけ目にした、養父・清寺時生の幻の脚本「イルカの唄」を探すためだった――。
言いたいことは分かる。僕も初めてこのあらすじを読んだときに
「いや、情報量よ」
とめちゃくちゃに思った。
でも、改めて読み直すと、非常に面白い要素が詰まっていることが分かる。
例えば、
・生まれつき緑色の目をもつ人がいる
というのはこの話の特徴だ。
読んでみたら分かることなので言ってしまうが、この小説には「なぜ、緑色の目の人が存在するのか」ということに一切触れていない。
ただ、クラスに数人程度には緑色の目の人がいるし、歴史を振り返ると緑色の目の人は昔虐げられていたため今も差別問題が(表面上解決しているが)根底に残っているという。
それがどうしたの?と思うかもしれない。
しかし、それが微妙な感情として表出するのがこの小説なのだ。
例えば、この世界にはまだ緑色の目をした総理大臣はいない。
緑色の目の人の人権を守ろうというNPOのような活動が世の中にある。
当の緑色の目の人たちは、普段差別を受けている意識はないが、ふとした折に意識せざるをえない(成績が同じの黒色の目の人より、緑色の目の人が学校から悪い境遇を受ける等)。
この、平等とは言いつつ平等になり切れていない世界は、現代の日本が抱える様々な問題を彷彿とさせる。
ただ、この小説はそれらの正義を押し付けることはしない。
その余白のような部分もまたこの本の数多ある魅力だと思っている。
あと、僕のたまらなく好きな設定としてあるのが主人公たちの通う学校の「拝望会」の存在だ。
これは、昼頃から8時間ほどかけ30kmを歩き、最後に山の上の展望台に向かうという校内のイベントだ。
えーそんなの嫌だよと思うかもしれないから、本文の一部を抜粋する。
でもこの行事は、意外に生徒からは好かれている。
制道院の新入生であれば、先輩から必ず聞かされる言葉があるのだ。
ーーー拝望会で食うカップ麺は、世界でいちばん美味いんだぜ。
(中略)
嘘をついているわけでも、強がっているわけでもなくて、拝望会とはそういうものなのだ。世界でいちばん美味いカップ麺を言い訳に、ひたすら無意味な30キロを歩く会だ。
p72、73
そういうものなのだ。
本当はちょっとめんどくさいが、まぁしょうがないなぁと自分に言い訳をして、友人と愚痴なんか言ったりしあいながら、終わったあとは確かな思い出として残る、そんな行事なのだ。
もし、この良さが分からないよーという方は、恩田陸さんの夜のピクニックという小説を読むか、早稲田大学の100キロハイクに参加してほしい。
歩くって、ドラマなんだぜ。そんなことが分かるかと思う。
実はこの拝望会ができた起源には緑色の目の人が虐げられた話が関連していたりするため、この時期の黒色の目の人と緑色の目の人の関係は少しだけぎこちなくなったり、主人公の一番の友人は足が不自由で車いすに乗っていたりする。
そこから生じる葛藤もまたなんというかリアルなのだ。
だめだ、この調子でこの本の魅力を語っていたら全く何千字あっても足りない。
もっともっと書きなぐりたいのを我慢して、この本の魅力をあと2つ伝えて終わりにしたい。
1つ目はこの本を読んで考える正義や倫理だ。
残念ながら答えは、ない。
ただ、理知的な主人公たちの会話を盗み見ていると、あれ?自分ならどう考えるだろうと思う。
人によって大事にしているものが違うから何かを決めることの難しさを痛感する。
前提が違うんじゃ分かりあうことなんてできない。
でも話すしかない。少なくともその努力には何か意味が生まれるはずだ。
ん?だけど、話す行為そのものに意味を見出してるのって本質的といえるのか。
そんな風にグルングルン思ったりする。
2つ目は、河野裕さんの表現力だ。考えさせられる。
地の文をここまでじっくり読みたくなる小説なんてなかなかない。
いくつか紹介してしまおう。
本心じゃ、運命なんてものは信じていない。でもある種の偶然に運命と名づける価値は知っている。 p276
どうせ、思いもしない形で後悔は生まれるんだろう。なら後悔の総量を減らすんじゃなくて、それを受け入れられる方を選びたかった。悲しい、苦しい、失敗した。でも。でも、なんだろう?わからないけれど、とにかく最後に、後悔に対して反論できる方を。 p284
僕は祖母を嫌う代わりに、あの人とは決して交わらないところを目指した。あの人が大事だというものの価値を否定して、別のところで大切なものをみつけようとしてきた。反対に進む、という意味で、あの人は僕の指針であり続けた。 p320
小説の醍醐味は、自分では言葉にできない感情を文字で的確に表されたときの感動だと思っている。
それがこの小説には、惜しみなく詰まっているのだ。
自分を知るために、本を読む。
そんな理由で手に取る小説があったっていい。
そして僕にとってはその一冊がこの、昨日星を探した言い訳だった。
この本を手に取った方がいたら、その方の琴線に何かが触れますように。
感想はいつでも待っているので、読んだ方はぜひ連絡ください。
初めての国際学会 ~Life is too short to be nervous~
初めての国際学会でいただいたあの言葉を僕は生涯忘れないだろう。
もう2年半も経つのかと思うと時の速さを実感するが、備忘録として残しておく。
研究、なにそれ美味しいのという人にも
当時の自分のワクワクが伝わるよう真摯に書こうと思うのでお付き合いただけたら嬉しい。
2018年6月25日。
翌日から始まるASSC(国際意識学会)への初めて参加ということで、とても、ドキドキしていた。
そんな緊張はさておき、現地に着いた日は学会が始まる前日だったので、
周辺を気分転換に散歩しようという話になった。
というのも、このとき歳の近いS研究員(6つほど上)と、A教授(この時初めてお会いしたが、非常に親しみやすい方だった)が一緒で、観光好きな方だったのだ。
このお2方がいたからこの学会の期間を楽しむことができたことは間違いない。
(クラクフ旧市街、斜めに撮ったらおしゃれかなと思ってたら、角度をつけすぎた)
さて、クラクフという街を知らない人はとても多いかもしれないので、ここで端的に説明しておく。
これぞヨーロッパという街並みなのに物価は日本とそこまで変わらない。
中世の頃よりユダヤ人が住んでいたということで、歴史的にも価値のある建造物が多い。
特に僕らがメインでうろついていた旧市街に関しては、
道端でヴァイオリンを演奏していれば、馬を引いている人もいて
RPGにでも出てくるような異国の城下町をイメージしてもらえばわかりやすいと思う。ただ歩くだけでも非常に楽しい。
(白夜で22時くらいまでずっと明るいので、時間の感覚をバグらせながら連日酒を飲んだ)
先輩方はウキウキしている。
若輩者の自分が地図を見ながら、案内して歩いた。
観光で先輩方が話すことは雑談も多々あったが、それ以上に研究にまつわる話も多かった。
昔の博士課程時代の話、人事の話し、 最近出た論文の信ぴょう性から、次の研究の計画案。
外国に来ているという開放感がそうさせるのかもしれないが、普段よりも生活に根差したというか、研究者のプライベートみたいな内容も多いように感じた。
今考えてみると、先輩方は当時博士課程に進もうか考えていた僕に対して、それとなくこちらの世界はこうなんだよというのを伝えてくれていたのではないかと思う。
その話を聞くのは、非常に楽しかった。あの尊い時間に今でも感謝している。
着いてまだ1日しか経っていなくて、翌日以降の不安もあった。
でも率直に、なんか学会期間ってもっとぴりついているのかと思ったけど楽しいんですねと言った。
すると、S研究員は
「学会は日ごろ研究を頑張っているご褒美みたいなものだ」
と話した。
この時は、へーそうなんだくらいに思って「良いですね」と僕は返した。
自分は28日にポスター発表をする予定だった。
ポスター発表では、定められた2時間程度のあいだ、会場の1スペースに自身の研究成果をまとめたA0のポスターを貼り、興味を持って見てくれた人に説明する。
当然、参加者のほとんどに日本語が通じないわけだから英語で話すことになる。
この日のために5分程度の短い説明と
興味を持ってくれた人に対して10分程度の長い説明、
さらには想定される質問を30個以上考え、対応できるようにした。
初日の夜は、その対策を改めて見直したりした。緊張して寝れないのではと思ったけどなんてことは無く普通に寝た。
(街並み。馬を引く女性が格好良すぎた)
一夜明けた26日目午前は、ちゃっかり近くのアウシュビッツ強制収容所を観光した。
きっとちょっと観光し過ぎだと思う、ごめんなさい。とても楽しかったです。
そして午後から学会入りした。
なんといっても、この日の醍醐味は大ホールで行われたPatric Haggard教授の講演だ。
ハガード教授は、自分の研究する分野の権威で15年以上前からその界隈を先導する人物だ。この研究テーマを取り扱っている人でハガード教授の名前を知らない人はまずいない。
僕が発表する予定だった研究もハガード教授ら研究チームの実験の派生のようなものだったし、彼の論文の多くを僕は読んでいた。
正直、この日の講演内容は抽象的な話が多く、自身のリスニング能力も相まって理解に乏しくなってしまったが、なによりも快活に楽しそうに話すハガード教授の姿が印象的だった。
その後、僕は学会会場をうろつく。
道に迷われているようだったので、こっちが会場ですよと端的なやりとりをしたが、そうかこういう方も発表されるんだよなぁとしみじみと思った。
そのさらに翌日、僕は前日と同じホールで別の人の講演を聞いていた。
ぼけーっと眠くなったところで、一つ席を挟んで隣に座って来た方がいた。
ハガード教授だった。
めちゃくちゃビックリした僕は一気に目が覚め、もともと怪しかった講演の内容も一切頭に入らなくなった。
ハガード教授だよな?昨日話してた?本物だよな?話しかけてもいいのかな?と心臓がバクバクいっていた。
そして講演が終了した。
ハガード教授はそそくさと席を立ち上がって別のところに向かおうとしていた。
僕は、咄嗟にExcuse me ! と叫んだ。
きっと自分自身覚悟ができず、呆けた表情をしていたままだったに違いない。
ハガード教授はこちらを振り向くと笑顔で応えてくれた。
そして改めて席に座ると、きらきらとした眼差しでこちらを見つめてきてWhat's ?みたいなことを言って聞き返してくれた。
彼の紳士的な対応に安心した僕は必死に言葉を紡いだ。
『自分はあなたの研究の論文を読んでそこから派生した内容を明日発表するんです。もしよかったら聞きに来てください』みたいなことを言ったのだと思う。
すると、ハガード教授はプログラムを取り出すと、どれだい?みたいなことを聞いてくれた。
僕は近づいて、自分の名前を指差し、これです。このポスター発表です。と伝えた。
ハガード教授はその部分に大きく丸を付け、必ず行くよと言ってくれた。
そして、ここまできてようやく僕も理性を取り戻し始めた。
ちょっとだけ今の環境に怖くなった。
予防線で、来てくれると嬉しいです、でも緊張してうまく話せるかなぁ…といったニュアンスのことを伝えた。
すると、ハガード教授はこちらを爛々とした目で見据えて
『Life is too short to be nervous.』と言った。
僕は、その言葉にただ何度もうなづくことしかできなかった。
すると、ハガード教授は笑顔を浮かべ颯爽と去っていった。
しばらく僕はその場から動くことができなかった。
これはすごいことだ。
いつも目を通している論文の著者に会えたんだ。しかもあのハガード教授だ…!
だってジャニーズなら、入って早々キムタクが笑顔で話しかけてくれたようなものだ。そんな貴重な機会に恵まれるなんて…。
あとでS研究員と合流して、そのことを報告した。
するとS研究員もおーすごいねって喜んでくれたあとに、「まぁでもそれがやっぱアカデミックの良いとこだよね」みたいな言葉を言っていた。
この世界は、歳をとっているから偉いというものじゃない。
研究者は研究者同士尊敬しあっていて、ポジションの違いこそあれど、対等な立場で議論をする。だからこういった権威ある教授と1学生の交流やディスカッションが生まれることもざらにある。
これは一般の会社には、なかなかない感覚だろうなと思う。
真摯に学問に向き合っている人たちに許された特異な場だ。
まったく、何が
「学会は日ごろ研究を頑張っているご褒美みたいなものだ」だ。
ちゃっかり、皆こういった場で新たな縁をつないでいって未来の研究に活かしている。
ご褒美というには若干スリリングすぎる。
S研究員はそういうことも全部分かったうえで、僕の気持ちを軽くするために言ってくれていたのかもしれない。
君次第だよと試されていたわけだ。背筋が伸びる思いだった。
その翌日、多少のトラブルはあれど、僕はそつなくポスター発表を終えた。
しかしハガード教授が来ることは無かった。
帰国して一週間ほど経ったある日、ハガード教授からメールをもらった。
ポスター発表に行きたかったが学会運営側の会議が入ってしまって行けなかった。
後でデータで君の研究を見たが「It is extremely interesting」な部分があった。
といった内容だった。
当然、これを機に僕はより研究生活に邁進していくことになる。
一週間弱の国際学会はとても印象深いものになった。
にしても、あのときのハガード教授の言葉、
『Life is too short to be nervous.』
こんなキザなことをあのタイミングで言うなんて。
人生は緊張するにはあまりに短すぎる。
なんて、背中を押してくれる言葉なのだろうか。
あの日あの時、勇気を出してハガード教授に話しかけたことで、また新たな勇気をもらえた気がした。
うん、絶対に忘れない。
僕もあの輝く眼差しで未来を見つめる人になりたいと強く思った。
研究とは何か ~K研究員との思い出~
これから不定期に、大学院で過ごした非常にかけがえのない時間を振り返ろうと思う。
M1の4月になる前からおよそ1年半の時間をかけて僕は博士進学をするか悩んでいた。
そんな僕が今は大学の研究とは全く関係ない(それどころか理系でもない)職場で働いている。
後悔はないが未練はある。
それだけ素晴らしい時間を院生時代に過ごしてしまったからだ。
何よりもK研究員と会えたのが僕の研究生活、
ひいては人生において、なによりも幸せなことだった。
K研究員は僕より10歳上の非常に優秀な研究者だ。
彼は面倒見がよく、誠実で、スパルタで、ユーモアにあふれていた。
澄んだ世界で静謐に研究と向き合うK研究員は格好良くて、
いつかその世界に自分も行けるのだろうかと憧れていた。
K研究員との日々で思い出すのは、論文発表の時間だ。
まだ学部4年生の5月くらいから、週に1,2本論文を読んだ論文をまとめて
K研究員の前で発表した。
K研究員は、たどたどしい僕の発表を聞いて、
いつも僕よりも深く論文の内容を理解した。
(1つの論文でだいたい5,6枚のスライドにまとめて解説した)
K研究員がよく仰っていたのは、
「この研究をあたかも自分がやったかのように私に発表しなさい」
ということだった。
例えば、実験方法を説明しているときも
「なぜ、○○を調べたいのに、この条件は変えなかったのか」などと聞かれる。
そこで、僕は「自分がやった実験じゃないので知りません」とは言わず、
「○○の理由で実験1では調べていません。しかし関連実験としておっしゃった条件を変更させたものを実験2では調べています」などと反論したりしなければならない。
いま考えれば、あの時間があったからこそ
論文を読むのではなく、論文を理解する努力を怠らなくて済んだのだと思う。
僕はK研究員を心から尊敬していて、失望されたくないから努力を続けた。
そういった頑張り方もありなのだとこのとき学んだ。
いつも論文発表するとK研究員は、たくさんの指摘をした。
「このデータは統計的に有意だが効果は小さいし再現性は低いだろう」とか、
「この実験環境では外部要因が多すぎてこの結論は断定しきれない」など
当時の僕は、同じものを見ているはずなのに見える世界がK研究員と僕で全く違うことに驚いた。
いつだったか、K研究員は僕に対して
「本当に良い論文は実験方法を見ただけで結果を見なくても感動する」
と言っていた。
学部生だった僕は、まず論文を読んで感動という言葉の意味が分からなかったし、いや方法が良くても結果を見ないと分からないだろうと思っていた。
しかし月日が経ったM2のある日、論文を読んで震え上がった。
それは1年くらい僕が、関心はあったけど実験に落とし込むには諸要因が多すぎてどうしようか悩み続けていた条件に関する実験の論文だった。
Introductionを読んだ。そうそうこれこれ、気になってたんだと思った。
でもこっから実験に落とし込むのは難しいよなと考えたところでのmethod。
こんな、結果に差が出ても出なくても意義があり、かつその要因が一義的に定まる優雅でシンプルな実験統制があるのかと驚いた。
まじかよ、と興奮した。
そうか!!こうすればよかったのか!!!ととても悔しい気持ちになった。
でも、さらにこの部分は詳しく調べる必要があるなと冷静になった。
もっとこの世界のことを知りたいと思った。
たった一編の論文に心揺さぶられるなんて、そのときまで考えたことは無かった。
良い論文を読むと、うれしくなる。
K研究員の
「本当に良い論文は実験方法を見ただけで結果を見なくても感動する」
という言葉の真意を少しだけでも汲めたような気がした。
K研究員の言葉で救われたものもある。
たしか学部4年の夏とかで、優秀な研究員に囲まれる生活の中、
自分はここまで実直に研究と向き合えないと弱気になった時があった。
なんで周りの研究者はこんな真摯に真理を追究しているのだろう。
それはプライベートや多くの代償を払ってまで、本当に自分がやらないといけないものなのか。
その研究にどれだけ社会的意義を見出しているのだろう。
「こんな一般の人にとって何の意味も持たないような研究をすることへの意味を僕は見いだせないんです…」と、怒られるのではないかと少しビクビクしながらK研究員に弱音を漏らした。
そのときK研究員がゆっくりと紡いだ言葉は、彼が研究に身を捧げた特別な人間だと信じていた僕の意表を突くものだった。
「正直なことを言うと、私も研究そのものに意味があると信じて頑張っているとか、そんな高尚なものじゃないんだ」
「科学っていうのは本当にすごい人が、何年か何十年かに一回、大きく前進させてくれる時があるけど、僕たちみたいな『じゃない人』はそういう天才のための整備した歩きやすい道を作っているんじゃないかと思うときがある」
「ただ、これは面白いことなんだ。研究っていうのは、世界中の天才たちとの知恵比べみたいなもので、ゲームのようなものなんだ。こういうもの考えて証明したぞとかを、顔も知らない人と時には競い、時には協力する。また、自分の成果を使って誰かが新たな小さな一歩を踏み出してくれている。それが楽しいから続けている」
確かそんな感じのことを言った。
「研究は世界中の天才とのゲーム」
そんな言葉を研究熱心で実直なK研究員が使うとは思わなくてびっくりした。
けど、この言葉は確実に僕を救った。
そうか、もっと「今、楽しい」という感情に目を向けてもいいんだと思えた。
いまでも、僕は世の中のありとあらゆる困難な局面と向かい合ったとき
「これはゲームだ」と考えるようにしている。
すると途端に、気持ちがすっと軽くなって、わくわくが始まる。
あの、何気なくかけがえのない日のK研究員の言葉は、
僕の心を生涯支え続けると思う。
広島を歩く〜⑤弥山と夕べ
(着物姿でここ歩くのすごいなと思ったけど風景によく合っていた。ギリギリ肖像権的にセーフな写真と信じて…)